山陰亭

原文解説口語訳

『菅家文草』02:102

春日、過丞相家門  春日、丞相しようじやうが家門をよぎ

除目明朝丞相家  除目ぢもく の明朝 丞相の家
無人無馬復無車  人く馬く また車も
況乎一旦薨已後  いはんや 一旦こうぜし已後いご
門下応看枳棘花  門のもとるべし 枳棘ききよくの花

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解説

 元慶7(883)年の作です。時に道真は39歳。式部少輔しきぶのしょう文章博士もんじょうはかせ加賀権守かがごんのかみを兼ねていました。

 ある日、亡き大臣の邸の前を通りかかったところ、邸はすっかりさびれ、四足門の下の土は踏みしだかれることもなく、草の生えるに任せています。
 公卿会議の席で決定する以上、その気になれば恣意的に人事を左右することさえ不可能ではありませんから、異動の時期ともなればトップクラスの公卿の元には下心を抱えて人々が訪れます。しかしいったん発令が終わってしまえば、官を得た人も得られなかった人も、用は済んだとばかり訪れようとはしませんでした。まして大臣が亡くなってしまえば、もうお構いなし。
 あまりに利己主義的な人々の態度に、道真は嫌悪感と失望を覚えたまま、邸を後にしました。とやかく批判の言葉を並べず、淡々と「これがある、あれがない」と述べることで、逆に世間の付和雷同ぶりを示すことに成功しています。

 さて、1世紀ばかり後の話になりますが、人事異動をめぐる悲喜こもごもについて、清少納言が『枕草子』の中で詳しく書いています。非常に面白い内容だと思いますので、ここで御紹介しておきましょう。

 異動の時期が近づくと、雪の降る中、頭にも雪を頂いた中下級貴族が申文もうしぶみ(任官嘆願書)を手に内裏を訪れ、女房をつかまえては「帝や中宮様に宜しくお伝え下さい」と必死になって口利きを頼みます。その姿は、女房達にすれば格好の物笑いの種でした。このPR作戦が功を奏して職にありつけた場合より、失敗して浪人生活が続く方が「いとあはれ」だと言ってのける清少納言の感覚はある種素晴らしいものがありますが、その「あはれ」なる光景とはどのようなものか、「すさまじきもの(興ざめなもの)」の段を見てみましょう。

 ──今年は確実に地方官に任じられるというので、彼の元には都の内外を問わず人が殺到しました。お供の者まで飲み食いしながら大騒ぎしているというのに、宮中からは何の音沙汰もありません。辞令を携えた使者が訪れないまま、夜が明けました。不審に思い耳をそばだてると、高官が宮中から退出する先払いの声が聞こえてきます。そこに様子を見に行かせたはずの下男が重い足取りで戻って来ました。人は無神経に「殿はどの役職につかれましたか?」と尋ねますが、ただ「さきの○○です」と答えるばかり。本当に期待していた人は、ただ嗟歎するのみ。日が登り、ごった返していた人々は、ひとりふたりと帰って行きました。つきあいの長い人は、来年任期満了により空席の出る国を指折りながら数えています。

 御存知の通り、彼女の父親は歌人として名高い清原元輔きよはらのもとすけ(908〜990)です。しかしその官歴を見ると、中央の三等官や地方官など明らかに中下級官吏のものですから、『枕草子』に見える、懸命に任官活動を繰り広げては裏切られる光景には、父親の実体験が色濃く混じっているのではないでしょうか。

 なお、この段は、他にも「季節外れの衣装や道具」「結婚したのに妻の元に来ない婿」「数年来おめでたのない家」「一向に物怪を調伏できない僧侶」など、本来あるべき状態から外れてしまったものを列挙しており、その中には「女の子ばかり産まれる学者」というものもあります。紀伝道の世界も世襲制が確立していることをよく示す一例だと思いますが、確かに、清少納言を毛嫌いしていた紫式部は、学者として名を馳せた父親から、子供の頃「お前が男だったらな」と呟かれた古傷を持っていたのでした。

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口語訳

春の日、大臣の家の前を訪れる

除目じもく (人事発令式)の翌日 大臣の家には
(訪れる)人も馬もなく また牛車もなかった
まして (大臣が)突然みまかられた後は
門のあたりに見えるのは からたちいばらの花ばかり

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