山陰亭

原文解説口語訳

『菅家文草』04:251

四年三月廿六日作〈到任三年也〉  四年三月廿六日の作〈任に到り三年なり〉

我情多少与誰談  我がこころの多少を誰とともに談らん
況換風雲感不堪  いはんや風雲をへて感にへざるをや
計四年春残日四  四年の春を計るに 残日は四
逢三月尽客居三  三月の尽に逢ひて 客居すること三たび
生衣欲待家人著  生衣は 家人を待ちてんと欲す
宿醸当招邑老酣  宿醸しゆくぢやうは 邑老いふらうを招きてたけなはなるべし
好去鶯花今已後  し去れ鶯花 今より已後のち
冷心一向勧農蠶  冷心 一向に農蠶のうさんを勧めん

▼ 末尾へ▲ 先頭へ

解説

 仁和4(888)年3月26日、讃岐守になって3度目の春のこと。過ぎ行く春を見送りつつ、夏に向けて気分一新を図る道真です。
 道真の作品には、唐代の口語(いわば比較的生の外国語)がしばしば見られるのですが、この詩についても、「多少(いくら)」「好去(お達者で)」「一向(ひたすら)」などがその可能性があるとか。ちょっと面白い話です。本人は海外渡航経験が全くないので、書籍から得たか、日本在住の外国人や在唐経験のある日本人から学んだ、ということでしょうか。

 さて、表面的な意味以上の意味を持つのが「鶯花」と「農蠶」。
 前者はただ単に春の風物詩というよりは、詩心をかきたてるものの代名詞。こういう言い回し好きなんですよ、彼。後者については、『職員令義解』大国条に、国司の仕事として「農桑を勧め課せ」とあり、農業や養蚕業の励行は国司の任務であったわけです。今でも産業の活性化は知事の仕事ですものね。
 また、道真は讃岐守の職を左遷人事と考えていましたから、「風雲」は、時勢の変化が激しいことの例えとも思われます。
 かくして「詩を詠みたくても仕事を優先しなければならない」矛盾だらけの単身赴任生活は続くのでした。

▼ 末尾へ▲ 先頭へ

口語訳

四年三月廿六日の作〈赴任して三年目である〉

自分の気持がどれほどのものか誰と語ろうか
まして時勢が変わり感に堪えないというのに
(仁和)四年の春を数えると 残る日は四日
三月の末を迎えて 旅住まいは三度目
生絹すずし の夏衣は妻が送ってくるのを待って着よう
昨年から醸造しておいた酒は村の長老を招いて飲もう
さよなら詩心をかきたてるものたちよ 今から後は
冷たい心でひたすら国司の勤めに励もう

▼ 末尾へ▲ 先頭へ


トップこのサイトについて3分で読む菅原道真みちざねっと・きっずFAQ読者アンケート
苦しい時の神頼み普通の人のための読書案内漢詩和歌快説講座作品一覧「研究文献目録」補遺

(C)1996-2024 Makiko TANIGUCHI. All rights reserved.
http://michiza.net/jcp/jcpkb251.shtml