山陰亭

原文解説口語訳

『続日本紀』巻三十六・天応元年六月壬子条

○壬子。……
遠江介従五位下土師宿禰古人はじのすくねふるひと
散位さんゐ 外従五位下土師宿禰道長等一十五人まをす。
「土師の先は天穂日命あまのほひのみことより出づ。
の一四世の孫、名を野見宿禰のみのすくね ふ。
昔者むかし 纒向珠城宮まきむくのたまきのみや
御宇あめのしたしらしめしし天皇すめらみことの世、
古風なほ存して葬礼節無し。
凶事有る毎に、例多く殉埋じゆんまいす。
時に皇后薨じて梓宮しきゆう庭にり。
帝群臣に傾問していはく、
『後宮の葬礼、これを奈何いかん せん。』と。
群臣こたへていはく、
『一に倭彦王子やまとひこのみこの故事にしたがひたまへ。』と。
時に臣等が遠祖野見宿禰進み奏していはく、
『臣が愚意のごとくんば、
殉埋じゆんまいの礼はことに仁政にそむけり。
国を益し人を利するの道にあらず。』と。
より土部はにへ 三百餘人をひきゐ、
自領してはにつちを取り、
諸物のかたちを造りてこれを進む。
はなはよろこびたまひ、もつて殉人に代へたまふ。
号して埴輪はにわ ふ。所謂いはゆる立物れなり。
すなはち往帝の仁徳、先臣の遺愛なり。
裕を後昆こうこんに垂れ、生民せいみん頼れり。
もつて祖業をるに、吉凶相半す。
し其れ諱辰きしん には凶を掌り、
祭日には吉に預れり。
かくの如く供奉し、まことに通途にかなへり。
今はしからず。専ら凶儀に預る。
祖業を尋ねおもふに、こころここに在らず。
望みはくは居地の名にり、
土師はじを改めて菅原の姓とせんことを。」と。
みことのりして、こひに依りてこれを許したまふ。

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