山陰亭

 菅原道真は最初に日本銀行券に登場した歴史上の人物だったりします。明治21(1888)年の話。日銀が発行した5円札は全部で10種類ありますが、うち6回が道真なので、筆者は冗談めかして「五円札の男」と呼ぶことがあります。

道真が選ばれるまで道真紙幣の変遷紙幣のその後実物が見てみたい!

道真が選ばれるまで

 明治維新以降、太政官札・明治通宝・国立銀行券など様々な紙幣が発行されましたが、肖像画を用いることはありませんでした。初めて肖像が登場するのは、1881(明治14)年から政府が発行した改造紙幣です。これは欧米に倣い国家元首の肖像を採用すべきところ、諸般の事情で神功じんぐう皇后となりました。
 そして日本銀行が設立され、兌換紙幣を発行することになりました。これは同額の銀貨(後に金貨)と交換できるもので、逆に交換不可能なのが不換紙幣。兌換紙幣には「此券ひきかへに銀貨拾圓相渡可あいわたすべき申候もうしそうろう也」など、交換可能である旨を明記するのが基本です。最初に発行された日本銀行券は大黒天の図柄でした。

 さて明治20年にもなると、極端な欧化主義に対する反動で国家主義の傾向が出てきました。紙幣肖像も古代史上の忠臣を用いることになり、一般民衆にも親しまれている人物を選ぶという観点から、日本武尊やまとたけるのみこと武内宿禰たけうちのすくね(五代の天皇に仕えた伝説上の大臣で、神功皇后の右腕)・藤原鎌足・聖徳太子・和気清麻呂・坂上田村麻呂・菅原道真の7名が採用されました。この路線は終戦まで続きます。
 彼等がどういう人物として理解されていたかは国定教科書を開くと良く分かります。道真は「藤原時平の讒言によって九州に流されたが、天皇への忠節を失わなかった人物」として登場します。歴史の教科書では、「恩賜御衣を拝する道真」の隣に、「寒い夜に薄い衣で眠り、民衆の苦しみを理解しようとする醍醐天皇」が続くことも。

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道真紙幣の変遷

 紙幣の原版を彫刻したのは、お雇い外国人の一人、イタリア人版画家キヨソネ。和気清麻呂が木戸孝允、藤原鎌足が松方正義まつかたまさよしと、当時の政治家をモデルに精悍な肖像画を描いたのに対し、道真は頬がこけて顎だけが細い貧相な顔になってしまっています。日本人が彫刻するようになっても、この傾向は変わりませんでした。

 そんな道真が登場する紙幣は、5円札が6種類、20円札が1種類、軍票が2種類です。
 まずは5円札と20円札から。名称の前の文字列は紙幣全般につけられている整理番号、( )内の文字は通称です。

 そして軍票2種類。

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紙幣のその後

 終戦後、GHQの指示により日銀券及び郵便切手から軍国主義的・国家神道的モチーフを外すことになり、日銀券に掲載する肖像画についても再検討が行われました。検討対象の20名には道真も含まれていましたが、結局不採用となりました。その理由は示されていませんが、採用された経緯を考えれば分かりますね。流通している分についても、通貨の基本単位である1円札を除いて1946(昭和21)年3月の日本銀行券預入令によって通用停止となり、紙幣としての役割を終えました。
 現在の日銀券は、写真が残っている明治時代の文化人から選ぶため、復活の可能性はありません。

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実物が見てみたい!

 ここまで読んできて、「文章だけでは分かりにくい、実物が見たい!」という人も多いでしょう。日本貨幣商協同組合が毎年刊行している「日本貨幣カタログ」(発行:紀伊国屋書店)にカラー写真が掲載されていますが、実物と比較すると、どうも色調が違うようです。銀行が運営する貨幣資料館や百貨店の切手・コインセールなどへ行くのが近道です。
 昭和発行分は筆者も少し持っていますが、大正以前のものはかなりいいお値段なだけに手元に置くのは無理な話。借りてWeb掲載用にスキャンしたいとは思っているのですが……、誰か持ってませんか?

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