山陰亭

三田天満神社(8KB)
三田天満神社

所在地:兵庫県三田市天満
 交通:JR宝塚線・三田駅下車
    神戸電鉄三田線・三田駅下車

丹波路の産土神は只者ではない九鬼家資料館

丹波路の産土神は只者ではない

(傾向)境内は広いながら、そこまでの道程が複雑です。
(対策)まず駅の真下にある観光案内所に寄りましょう。

 大阪駅から丹波路快速に乗ります。途中、列車がいくつものトンネルを抜けるたびに、山間部にぽつんと駅が存在する西宮名塩あたりで「ここはどこ?」と少なからず不安になりますが、三田市そのものは割と開けています。大阪のベッドタウンながら別の地域である、そう言えば分かりやすいかもしれません。
 駅を出て福知山方面へ歩き、市役所の前で左折して三田大橋を渡ります。さらに左折して三田市旧九鬼家住宅資料館(後述)の角で右折。有馬高校と三田小学校の間を抜け、高校の裏側を少し回り込んだ先にあります。本当は三田大橋を右折した先にある三田警察署あたりからもアプローチ可能らしいのですが、高低差が激しく、加えてあいにく工事中で道らしきものが全て消えていたという状況でした。それでも未舗装のぬかるみに突入し、辛うじて残っていたハイキングコースのような木製の階段をよじ登り、出口を塞ぐフェンスの隙間から無理矢理隣の公園に抜けた強者が、約1名おりますが(笑)。

 元々は大歳大神という別の神様を祀る社だったのですが、16世紀半ばに領主の赤松村秀が梅隆山松寿院なる寺院を建立し、神社そのものも天神社に改めてしまいました。その動機は、境内に突然松が生えるわ梅は咲くわ、神託まで下るわでいたく感動したから。にしても名称まで変えてしまうとは少々過激です。その後三田藩主の庇護を受け、建物の寄進もありましたが、明治以前は住職が管理運営を担当していたそうなので、神仏習合色が強かったようですね。

 天神縁起やら天神画像はもとより、天神名号や渡唐天神画像、果ては小振りの是善像まで揃っているようで、なかなか期待が持てます。「赤松村秀が三好清行の弟日像上人に御神体を作らせた」という由緒書の記述には明らかに矛盾がありますが、道真にとってのサリエリ、三善清行みよしのきよゆきだの日蔵にちぞう道賢どうけんだの、吉祥院天満宮でもないのに三善ファミリーの名前が出てくるところは、浅学のなせる業ではありません。
 この御神体、開帳は25年に1回で、次回は2023年。……ちゃんと忘れずにおとなしく待てるか自信がありません(爆笑)。

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九鬼家資料館

(傾向)無料公開とは粋ですぞ、三田市。
(対策)建築に興味のある方は是非是非。

 三田城の跡地が小学校になっているようですが、そのすぐ近くに三田市旧九鬼くき家住宅資料館という、舌を噛みそうな名称の建物があります。これは三田藩主の婿養子で技術者でもあった九鬼隆範くきりゅうはんが明治初期に設計・建築した家で、1階が和風で2階は洋風の外観を持つ、摩訶不思議な建物です。とは言え、前を通った時は、単なる郷土資料館のたぐいかと思いましたし、土間や台所も昔の裕福な民家という感じです。

敷地内から見た旧九鬼家(6KB)
敷地内から見た旧九鬼家

 それがふと見上げたら、2階があってバルコニーまでついているのですから、驚かないはずがありません。管理人の目の前で座敷に上がり込むのも恥ずかしいので、1階だけざっと見学して出てきてしまいましたが、仲間連れなら堂々と靴を脱ぎ、2階も見せて欲しいと頼み込んだはずです。惜しいことをしました。

 とてもきれいな状態で保存されていますし、管理人を常駐させてこまめに(3月1日〜4月6日・7月20日〜8月31日・11月・12月25日〜27日・1月5日〜31日の月曜以外、その他の時期は土日祝日のみ)公開しているので、決してお安くない維持費が生じているはずですが、何と入館無料。有料にしなかった三田市って、すごい大胆、太っ腹。たとえ帰る時間が迫っていても、外観だけ見て終わりにするのはもったいないですよ。
 せっかく県の重要有形文化財なんですし、もっと大々的にアピールしても良いのではないかと思うのでした。

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