山陰亭

原文解説口語訳

『菅家文草』01:038

停習弾琴  きんを弾くを習ふを

偏信琴書学者資  ひとへに信ず 琴と書とは学者のたすけ
三餘窓下七条絲  三餘さんよ の窓の下 七条のいと
専心不利徒尋譜  心をもはらにすれど利あらず いたづらに譜を尋ぬ
用手多迷数問師  手をもちゐれど迷ふこと多く しばしば師に問ふ
断峡都無秋水韻  断峡 すべて秋水のしらべなし
寒烏未有夜啼悲  寒烏 夜啼 やていの悲しび有らず
知音皆道空消日  知音 ちいんふ 空しく日を消すと
豈若家風便詠詩  あに 家風の詩を詠ずるに便りあるにかんや

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解説

 川口久雄氏によれば(大系本年表)、貞観12(870)年26歳の作といいますから、方略試ほうりゃくしを受験した年です。それでは受験勉強に追われていた時期ですから、あるいはもう少しさかのぼりますか。法律には、

およそ学生は学に在りて楽をし、および雑戯するを得ざれ。ただしきんを弾き射を習ふは禁ぜず。
(『学令義解』不得作楽条)

とあり、学生の娯楽は琴と弓だけに制限されていました。

 琴は7本の糸を張った絃楽器です。道真が「七条(=七本)の絲」と詠うのもそのためです。日本で言う「こと」は13絃ですから、また別の楽器で、「そう」と呼ばれるもの。七絃琴は文人のたしなみの一つとされ、陶潜とうせんも気を紛らわすものとして書物とセットに挙げています(『文選』巻45「帰去来」)。
 それゆえ道真も勉強の合間に琴を学んだのですが、演奏に集中しても、練習に励んでも、途中で手が止まってしまいます。「断峡」は「三峡流泉さんきょうりゅうせん」、「寒烏」は「烏夜啼うやてい」という琴曲を指しますが、水は途切れ途切れに流れ、親を亡くしたからすは絶え絶えに鳴くありさまで、聞いていても悲しさが伝わってきません。この様子を見ていた友人たちが「時間の無駄だからやめなさい」とまで言い出す始末です。「知音」とは親友のことですが、自分の演奏から内面まで汲み取ることのできた親友が死んでから、琴の名手だった伯牙はくが は二度と琴を弾かなかったという故事にもとづく言葉だけに、「(琴の)音を知る」音楽通の意味も掛けています。

 自覚していたところに周囲の人間からも指摘され、道真も「これでは『家風』の詩作の役には立たないな」と、習得を諦めてしまいました。詩が菅原氏の家風であることは自他共に認めるところで、文章博士都良香みやこのよしかも方略試の問題文で指摘しています(『都氏文集』05)。後に「自分には詩と仏教しかない」と思うようになる道真ですが(『菅家文草』03:196「秋」・『菅家後集』477「楽天が『北窓の三友』の詩を読む」)、詩に関しては、彼の主体的な選択とは別に、最初からそう認識されていたというわけです。

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口語訳

琴の稽古をやめる

琴と書物は学者の利益になるとひたすら信じていた
勉強をするのによい余暇の時間 (書斎の)窓の下で七絃の琴に向かう
しかし集中してもうまくいかず むやみに楽譜を見る
弾いてみても迷うことが多く 何度も(奏法について)先生に聞く
「三峡流泉」の曲も 秋さらさらと流れるような調子にはならず
烏夜啼うやてい」の調べも 烏が(亡き親を憶って)悲しげに鳴くようには響かない
音楽に明るい友人たちは 皆(君が琴を学ぶのは)時間の無駄だと言う
これではどうして我が家の伝統である詩作に役立つのだろう

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