山陰亭

原文解説口語訳

『菅家文草』02:129

絶句十首、賀諸進士及第(1)  絶句十首、諸進士しよしんじ及第きふだいを賀す(1)

七七頽齢是老生  七々の頽齢たいれい これ 老生らうせい
誓云未死遂成名  誓ひて云ふ 死なじ 名を成すをげんと
明王若問君才用  明王めいわう し君が才用さいようを問はば
吏幹差勝風月情  吏幹 りかん やや勝る 風月のこころ
〈賀丹誼。〉   〈丹誼たんぎ を賀す。〉

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解説

 元慶8(884)年春に実施された省試しょうし(文章生選抜試験)の合格者10名に対し、道真が贈った詩の第1首です。

 この時の試験については後藤昭雄氏が整理しており(「学生の字について」『平安朝漢文学論考』桜楓社、1981年)、それによって詳細を容易に知ることができます。
 省試は文官の人事を司る式部しきぶ 省(文部科学省)が実施する試験ゆえに「省」試なのですが、道真は式部少輔しきぶのしょう(次官補佐)として問題を作成する立場にありました。そこで張衡ちょうこう東京賦とうけいのふ」(『文選』巻3)の一句「竜図に授く(古代、天は竜馬の背に河図かとの模様を描き、帝王伏羲ふくぎ に授けた)」を題に、「『徳(入声一三職韻)』を韻字とする五言八韻(80字)の排律はいりつ詩を詠め」という問題を出しました。そして6月、文章博士もんじょうはかせを兼任する式部大輔橘広相たちばなのひろみが採点した結果、合格したのは以下の10名。あざな(大学寮での呼称)で記されているため、うち6名の本名は不明です。

 合格者の年齢を見ると、20代から40代まで広い世代にわたっており、いかに狭き門だったかが良く分かります。一般的傾向を知るために、他の人の場合と比較してみましょう。

人物名(生没年)省試合格時期合格時の年齢備考
藤原衛 (799〜857)弘仁7(816)年18歳右大臣内麿の子
正躬王 (799〜863)弘仁7(816)年18歳桓武天皇の孫
菅原道真(845〜903)貞観4(862)年18歳 
藤原邦基(875〜932)寛平5(893)年19歳左大臣良世の子
菅原清公(770〜842)延暦8(789)年頃20歳頃 
南淵弘貞(777〜833)延暦15(796)年頃20歳頃 
小野篁 (802〜852)弘仁13(822)年21歳参議岑守の長男
滋野貞主(785〜852)大同2(807)年23歳 
藤原愛発(787〜843)大同4(809)年23歳右大臣内麿の子
菅原善主(803〜852)天長2(825)年23歳文章博士清公の子
大江音人(811〜877)天長10(833)年23歳 
橘広相 (837〜890)貞観2(860)年24歳 
小野岑守(778〜830)延暦22(803)年以前26歳以前 
南淵年名(807〜877)天長9(832)年26歳 
島田忠臣(828〜892)仁寿4(854)年頃27歳頃 
都良香 (834〜879)貞観2(860)年27歳文章博士腹赤の甥
三善清行(847〜918)貞観15(873)年27歳 
春澄善縄(797〜870)天長元(824)年28歳 
橘澄清 (861〜925)寛平2(890)年30歳 
藤原興範(844〜917)貞観15(873)年30歳 
紀淑光 (869〜939)昌泰元(898)年30歳長谷雄の子
紀長谷雄(845〜912)貞観18(876)年32歳 
藤原道明(856〜920)寛平2(890)年35歳 
藤原当幹(864 〜941)昌泰元(898)年35歳菅根の同母弟

 生没年や合格時期が分かるのは後に五位に達した人間が中心ですから、対象の偏りは否定できないものの、ある程度の傾向はつかめると思います。
 道真の18歳合格は史上最年少タイ記録で、まさに英才教育の賜物ですが、通常は20代で合格しているようです。しかし、親戚に学者がいるか、裕福な家庭の人間でもなければ、学習開始時点で出遅れ、複数回受験の末に中年に達してもおかしくありません。今回合格した藤原菅根(856〜908)は藤原氏でも武門の出ですが、母親が学者家系である菅野すがの 氏の出身だったために、実家の援助を受けて学問に励むことができました。逆に、なかなか学習環境に恵まれなかった紀長谷雄きのはせお(就学時期ですでに出遅れた上に、あらぬ讒言が元で師匠に疎まれたという経緯があります)は30代になってやっと文章生になれました。ただ、菅根の同母弟である当幹まさもとは兄より6年を要していますから、最後は本人の実力次第であることはいうまでもありません。

 連作の第1首を飾る「丹誼たんぎ 」は、歴代合格者の中でも最年長クラスに属すると思いますが、彼の受験生活がここまで長引いた原因は、道真の詩に明示されています。「風月の情」=詩文作成能力が「吏幹りかん 」=事務能力に劣っていたことです。この頃、省試ではもっぱら排律詩が出題されていますから、中国古典に対する理解はもとより、作詩規則や装飾技法まできちんと身に付けていないと太刀打ちできないのです。

 ところで、今回の省試ですが、道真が出題者(式部少輔)・合格後の指導教官(文章博士)・受験予備校の校長(「廊下」主宰)という3つの立場を兼ね備え、広相が自分の息子公廉の合否判定をしているという状況は、問題がないとは言い切れません。しかも広相は道真の父是善これよしの弟子ですから、菅家門下有利の状況はますますゆるぎませんでした。

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口語訳

絶句ぜっく 十首、文章生もんじょうしょうたちの合格を祝う(1)

四十九歳の高齢 これこそ老人
誓って言うことには 名声を挙げるまで死ぬまいと
もし優れた天子が 君の適性についてお尋ねになれば
事務能力が 詩情に いくらか勝る(そう申し上げたい)
丹誼たんぎ (の合格)を祝う。〉

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