山陰亭

原文解説口語訳

『菅家文草』03:186

相国東閤餞席  相国しやうこく東閤とうかふの餞席
〈探得花字〉  〈探りて花字を得たり〉

為吏為儒報国家  り儒と為り 国家にむくいん
百身独立一恩涯  百身独立するは いつに恩涯
欲辞東閤何為恨  東閤を辞さんと欲するに 何をか恨みと為す
不見明春洛下花  明春 洛下の花を見ざらんことを

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解説

 太政大臣藤原基経もとつねが自宅に道真を招き、送別会を開いた時の詩です。
 03:184「予外吏と為れども、...」に自ら顛末を記すように、内宴では基経を前に嗚咽した道真ですが、今回はさすがに落ち着いて国家への忠誠を表明します。とは言え、「来年は都で花を見られないのが心残りです」と、後ろ髪を引かれる思いを述べた最終句が彼の本心であることは疑いようがありません。

 「東閤」は「東閣とうかく」に同じ。晩学して丞相となった漢の公孫弘こうそんこうが、公邸に客館を建て、東閣(東の門)を開き、賢人を招いて意見を求めたこと(『漢書』巻58公孫弘伝)に由来します。この故事に基づいて基経も邸に学者を招いていたようで、詩宴を開いた「東斎」(01:067)、道真に『孝経こうきょう』を講じさせた「東廊」(02:146)とも、関係がありそうです。あるいは『世説新語』を講読した「文亭」(02:149)も関連するかも知れません。実際、『扶桑集ふそうしゅう』巻9に収められた紀長谷雄きのはせおの詩序は、道真が『孝経』を講じた際の作と思われますが、そこには「相国の東閤はべり」と、東閤を会場としたことが明示されています。
 基経が送別会を開いた場所を佐藤信一氏は「宮中の東閣」と解釈していますが(「『菅家文草』巻三注釈稿(二)」「国文白百合」27、1996年3月)、宮中と断定する理由がないだけに、やはり基経の邸にあったと思います。付言すると、第2句の「百身」を学者、「一の恩涯」の主体を基経とし、「多くの学者が学問で身を立てて行けるのもひとえにたった一人の基経のおかげである」と口語訳するのも疑問が残ります。「一」は「すべて」「ひとえに」の意味。基経を重ねたのは、日本で摂政・関白を「いちの人」と呼ぶことが念頭にあるのかも知れませんが、それなら天子を指す漢語「一人いちにん」を採りたいところ。ここは第1句に続く箇所で、天子の恩を受けて国家に尽くすのが官人のつとめだからこそ、希望と異なる仕事でも拒否できないのです。

 ところで、道真がことさらに「吏となる」と言う場合、単に「役人になる」という意味で使っているわけではないようです。他の用例でも、「仮令たとひ 儒の吏とらば/天下雷同せるを笑はん」(03:236「舟行五事(2)」)、「我今吏と為り南海に居り」(04:279「懺悔会の作、三百八言」)、「儒と為り吏と為りつね零丁れいてい」(04:289「斎日の作」)、「我れもちゐられて吏と為り 讃州に去り」(05:357「左金吾相公、宣風坊の臨水亭に於て、...」)とあり、都での紀伝道の仕事に対する「外吏」、つまり地方官になることを指しているようなのです。
 律令制の基本方針の一つに、「官位相当制」があります。これは「まず位階を与えられ、それに対応する官職に任じられる」というもので、初めに位ありきですから、時折「位はあっても職がない」散位さんい になることがあります。また、「同じ位階に相当する官職であれば、異業種への転勤もありうる」ということでもあります。実際には、選定に際し何らかの条件や傾向がみられるようなので、必ずしも無理な異動ばかりではないのですが、この時道真の位階は従五位上。前職の式部少輔しきぶのしょうと文章博士はワンランク下の従五位下に相当する官職で、任命時はちょうど従五位下でした。そして讃岐守も従五位下に相当するので、官位相当の観点からすれば横滑り人事に過ぎません。そもそも、紀伝道に学んだ人間が地方官となるのは良くあることで、道真自身、上記二つの官職に加えて加賀権守ごんのかみを兼任していました。
 ではなぜ、転勤を前に道真は動揺を隠せなかったのでしょうか? この問題については続く03:187「北堂の餞宴にて、各一字を分かつ」で述べようと思います。

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口語訳

太政大臣(藤原基経殿)の東閤での送別会の席(にて)
〈探韻して「花」の字を得た〉

地方官となり儒者となり 国家に報いましょう
大勢の人間が身を立て(られ)るのは ひとえに(帝の)御恩(によるもの)
(この)東閤に別れを告げようとして 恨めしく思われるのは何でしょうか
(それは)来年の春 都の花を見られないことです

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