山陰亭

原文解説口語訳

『菅家文草』03:197

重陽日、府衙小飲  重陽の日、府衙ふがにて小飲せういん

秋来客思幾紛紛  秋よりこのかた 客思のいくばくか紛々たる
況復重陽暮景〓  況復いはんや 重陽の暮景のるるをや
菊遣窺園村老送  菊は園を窺はしめて村老送り
萸従任土薬丁分  は土に任すにりて薬丁やくてい分かつ
停盃且論輸租法  盃をとどしばらく論ず 輸租ゆその法
走筆唯書弁訴文  筆をはしらせただ書く 弁訴べんそ の文
十八登科初侍宴  十八にして登科とうくわし 初めて宴にはべりしも
今年独対海辺雲  今年は独りむかふ 海辺の雲

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解説

 仁和2(886)年9月9日、讃岐国府で部下とささやかな重陽の宴を張った時の詩です。道真42歳。
 陰暦の9月9日は陽の数である九が重なるため「重陽」と呼ばれますが、この日は、高い所に登り、茱萸しゅゆ の実を頭に飾り、菊花酒を飲んで邪気を払う日とされます(『荊楚歳事記』および『芸文類聚』歳事部・九月九日)。そこで道真も菊花と茱萸を用意して酒宴を催したのですが、風雅な席も気がつけば仕事の延長戦になってしまいます。盃を手に話すのは税金の徴収のこと、筆を取って書くのは裁判の判決文。国司の職務権限は現在の県知事に比べ遥かに広い範囲に及びますが、法律の条文には、国司の具体的な職務について、「訴訟・租調」(『職員令義解』大国条)と、裁判と税金を続けて記しており、道真もこの規定を踏まえて上記の2つを取り上げたものと思われます。
 讃岐守時代の詩には法律(律令格式りつりょうきゃくしき)の規定を前提とした表現が見受けられ、04:251「四年三月廿六日の作」の「一向に農蠶を勧めん」はもとより、03:219「行春詞」に至っては国司の国内巡視を規定した『戸令』の焼き直しですらあります。そしてこの詩においても、『延喜式えんぎしき』(中務省・薬司)が九月九日における茱萸調進について言及しており、『書経』禹貢序に由来する「任土(之貢)(地力に応じた課税)」を『貞観交替式じょうがんこうたいしき』(医師の公廨を拘留すべき事)が租税としての薬に結び付けていることを指摘できます。つまり、この頃の作品を読む時は法律の条文を意識する必要があるということですね。

 晋の潘岳はんがくの「秋興賦」(『文選』)の影響で「秋は悲しいもの」と決まっていますが、重陽の夕方に余計悲しくなるのは道真ならではの思考です。その答えは第7句に示されています。彼が18歳の若さで文章生もんじょうしょうとなったのは貞観4(862)年のことですが、この年の秋、道真は初めて宮中での重陽の宴に出席を許されました(01:008「九日宴に侍り、同じく『鴻雁来賓す』ということを賦し、各一字を探りて葦を得たり、製に応ず」)。それから4半世紀の間、道真は重陽宴に出席して詩を詠みます。
 『菅家文草』には、貞観6(864)年・9(867)〜10(868)年・12(870)年・17(875)年・元慶2(878)年・6(882)年〜仁和元(885)年の詩序2篇・詩10首が収録されていますが、この22年間のうち、他に重陽宴が開かれたのは文章生時代の貞観5(863)年・7(865)年と文章博士もんじょうはかせ時代の元慶4(880)年の3回だけ(滝川幸司氏「菅原道真における〈祖業〉」『古代中世文学研究論集 第2集』和泉書院、1999年付載「詩宴年表」を参照)ですから、8月30日に父親が亡くなったばかりの元慶4年は別として、讃岐に赴任するまで、ほぼ毎回出席していたと思われます。

 役所で部下を集めて酒盛りをしながら「ひとり重陽を迎えた」と述べるのは、道真の心境風景でしかありません。しかし、正月の内宴と並ぶ晴れがましい公宴の日に、詩文談義ではなく実務を繰り広げるのですから、応制詩人はいたたまれない気分になったことでしょう。風流のかけらもない光景に、地方にいる空しさが二重三重に募ったに違いありません。

 ところで、なぜ菊が「園を窺わせる」のかすっきりしなくて『文選』『芸文類聚』(薬香草部・菊)『佩文韻府』と見たのですが、結局分からずじまい。菊とくれば陶潜とうせんですから、その可能性も考えてみるものの、いまだ判明しておりません。川口久雄の記す通り、難解な箇所です。

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口語訳

重陽の日、役所でささやかな宴を開く

秋になってからというもの 旅人の思いはどれほど入り乱れることか
まして 重陽の夕暮れともなると(わびしくてやりきれない)
(重陽節に用いる)菊は庭を覗いた村の老人が送ってくれ
茱萸は地元で産出するので薬草園の職員が分けてくれる
(菊酒を注いだ)盃を止めて(風流な話もせず) 租税の徴収方法についてひとまず議論し
筆を走らせて (詩を作ることなく)ただ判決文を書く
十八歳で試験に合格し(て文章生となり) 初めて(重陽の)宴に侍ったが
今年はひとり海辺の雲に向かい合っている

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