山陰亭

原文解説口語訳

『菅家文草』03:236(2)

舟行五事(2)  舟行しうかう五事(2)

白頭已釣翁  白頭 釣りをめしおきな
涕涙満舟中  涕涙ているい 舟中しうちうに満つ
昨夜随身在  昨夜 身にしたがひてれども
今朝見手空  今朝こんてう 手を見れどむな
尋求欲凌浪  尋求じんきうして なみしのがんとほつすれども
衰老不勝風  衰み老へたれば 風に勝たず
此釣相伝久  つりばり 相伝あひつたへしこと久しかれども
哀哉痛不窮  かなしきかな いたきはまらず
子孫何物遺  子孫 何物なにをかおくらん
衣食何価充  衣食 何の価をかてん
荷〓慙農父  すきになはば 農父にぢん
駆羊愧牧童  羊をらば 牧童にぢん
非嫌新変業  新たにわざを変ふるを嫌ふにあら
最惜旧成功  最もふるくして功をせしを惜しむ
若有僧為俗  し僧の俗とるひとらば
寺中悪不通  寺中 にくみてとほさざらん
仮令儒作吏  仮令たとひ  儒のらば
天下笑雷同  天下 雷同らいとうを笑はん
漸憶釣翁泣  やうやおもふ 釣翁てうおうの泣けるは
悲其業不終  の業の終はらざるを悲しぶなりと

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解説

 仁和3(887)年秋、讃岐から都へ向かう船の中で詠んだ連作5首の第2首です。
 この連作は、全て五言十韻の古調詩ですが、第4首の最後に「私は荘周そうしゅうの教えを学びたいと思う」と宣言する通り、『荘子』が基調にあります。第1首の絶壁に立つ松の老木について、「もし大工に出会っても、質が悪いから(加工しても)形をなさない」と言うのは、人間世じんかんせいの、巨大なくぬぎの木を見て何の興味も示さなかったのを不思議がった弟子に、大工が「使い物にならないから、あそこまで大きくなったのだ」と答えた話が下敷きになっています。また、第3首の「薮に巣を作るみそさざい」(小人物の比喩)と「泥の中に尾を引きずる亀」(地味でも生命を全うする生き方の例)がそれぞれ逍遥遊しょうようゆう秋水しゅうすいの各篇に典拠を持ち、第4首は「繋がれることのない小舟」という主題そのものが列禦寇れつぎょこうに見えるモチーフであるように、『荘子』の影響が指摘されていますが、こと第2首と第5首に関しては、連作そのものが「初めに実景ありき」の詩のためか、取り立てて指摘すべき箇所はないようです。

 周の文王が渭水 いすいで釣りをしていた呂尚りょしょうに出会い、自分の右腕に抜擢したという話がありますが(『史記』斉太公世家)、白居易も世俗から離れて釣りを楽しんでいます。彼が官を辞して隠遁生活を送っていた時の詩(『白氏文集』06:0231「渭上にたまたま釣る」)に、渭水で竹竿を手に「昔、白髪頭の人が同じ川で釣りをしていて、魚ではなく文王を釣り上げた」と言うのは、呂尚の故事を指します。
 道真が出会った漁師は、生活のために船を出すのであって、趣味の釣りとは次元を異にします。しかし「俗世間から孤絶して船上で年齢を重ねる」のが年老いた漁師に対する道真の認識であることを思えば(02:167「晩秋二十詠(15)釣船」および03:207「寒早、十首(8)」)、陸地で互いに協力しながら農耕に従事する百姓とは異なる存在であったことは確かです。

 大物を狙って海に漕ぎ出した老人は、魚に糸を引きちぎられ、先祖代々受け継いだ釣り針まで失ってしまいました。「仕事道具を失ってしまえば、子供に遺せるものはないし、自分の生活だってどうするのだろう、しかもあの年で職を変えれば、プライドが邪魔をしてうまく行くまい……」。道真はそうつぶやいて身の上を案じますが、自慢の釣り針でなくても道具さえあれば漁師は続けられるはずです。その意味で、本当に釣り針を無くしたのは道真自身でした。
 釣り針を紀伝道に置き換えてみると良く分かります。曾祖父の代から受け継いだ学者としての立場を突如失い、子孫に授けることもできなくなった現在、仕事を変えさせられて地方で働いているけれども、他人は金欲しさに世間に媚びたとわらうに違いない。そう思うと、紀伝道の専門家として都で積み重ねた実績が惜しくてなりません。そんな自分に老人の姿を重ね、彼も生業を全うできなくて泣いているのだと想像をめぐらせます。「舟行五事」に登場する題材は、道真にとって自己投影と理想像と反面教師の材料ですが、この詩は特に自己投影の側面が強いようです。

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口語訳

船旅(で見た)五つのこと(2)

白髪頭の 釣りをやめた老人
(彼の流す)涙が (釣り)船の中に溢れている
昨夜は (釣り針が)身近にあったのに
今日は 手元を見ても何もない
(魚を)探して 波を越えようとしたが
衰えた老体では 風に勝てなかった
この釣り針は 長年にわたって代々伝えてきたのに
悲しいことだ 痛恨の情には終わりがない
子孫に (遺産として)何を残そうというのか
衣食に 何の代金を充当しようとというのか
すきかつげば 農民に対し恥ずかしい思いをするだろう
羊を追い立てれば 放牧する子供に対し恥ずかしい思いをするだろう
新たに生業なりわいを変えることが嫌なのではない
年老いて功績を挙げたことが何より惜しいのだ
もし還俗けんぞくし(て俗世間に戻っ)た僧がいれば
寺の中では (彼を)そしって通行させないだろう
もし 儒学者が(地方の)役人となれば
世間は (生活費が欲しくて世の中に)おもねったと笑うだろう
少しずつ思い始めた 老いた漁師が泣いているのは
その生業を全うしていないことを悲しんでいるのだと

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