山陰亭

 天神社の境内に、よく牛(の像)が居座っているのはなぜでしょう? というお話です。

北野天満宮境内の牛(7KB)
北野天満宮境内の牛

 まず道真由来説。承和じょうわ12(845)年、乙丑きのとうしの年の生まれ。あるいは葬儀の際、彼の遺体を運んだのが牛車ぎっしゃだったから。像が皆写真のように前足を折ってうずくまる姿勢を取るのは、葬送の道すがら座り込んで動かなくなった牛を象ったものだと言われます。そしてこのハプニングを故人の意思と理解してその場に埋葬したのが、現在の太宰府天満宮の起源です。
 「亡くなったのも丑年・丑の日」という記述まで見掛けますが、延喜えんぎ 3(903)年は癸亥みずのといの年で、2月25日は丙申ひのえさるの日ですので、この指摘は正しくありません。

 次に道真以前の天神信仰による説明。雷は雨をもたらし、雨は豊作をもたらすということで、天神=雷はもともと農業神でした。そして古代には民衆の間では牛を殺して雨乞いをしていました。この方法は中国から伝わったものです。平安初期には祟り神を祭るために牛を殺すようになったようですが、厄災を避け幸福を呼び込むために祭るわけですから、本質的にはあまり違いがないようにも思います。

 そしてもうひとつ、神仏習合しんぶつしゅうごうの問題があります。近代以前は仏教と神道が融合していました。そのため「天満天神」といった神号とは別に「大自在天だいじざいてん」+「神」=「大自在天神」、「大威徳天だいいとくてん」+「神」=「大威徳天神」などとも呼ばれていたのです。大自在天・大威徳明王はともに密教の神で、それぞれ白牛・水牛に乗っています。
 特に注意すべきは大自在天。観音は33の姿で衆生の前に現われると「観音経」(=『法華経』普門品)は説きますが、大自在天もそのひとつなのです。ヒンドゥー教のシヴァ神、すなわち破壊と創造を司る神を仏教に取り込んだ姿で、雷を始めとする天変地異を引き起こす破壊力から神号に冠されたものと思われます。そしてこのシヴァ神がナンディンという白牛を従えているのですね。そう考えると、天神の本地仏ほんちぶつ(神の本当の姿とされる仏)が観音とされるのも、道真自身の観音信仰より大自在天に基づく可能性があります。学者だけに本地は文殊菩薩と見なされた時期があったにも関わらず、観音に落ち着いた訳ですから。

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