山陰亭

菅原天満宮(7KB)
菅原天満宮

所在地: 島根県松江市宍道しんじ 上来待かみきまち
 交通:宍道町営バス・菅原バス停下車

いざ、尋常に突撃を!リミックス版化現説話

いざ、尋常に突撃を!

(傾向)到底20分では片付かない。
(対策)レンタカーを使うに限ります。

 JR山陰本線・来待きまち 駅で下車し、宍道湖側の改札を出ます。松江市に合併しているのに旧名のままの宍道町営バス・来待線の和名佐行きに乗ること20分。降りればすぐそこが目的地……なのですが、問題はそのダイヤ編成。松江市のサイトでダイヤを確認すると、1日たったの4往復(しかも日祝休)。乗車時刻はJRとうまく合わせたものの、与えられた自由時間はバスが折り返してくるまでのわずか20分。山陽電鉄や大阪市バスで経験済みなので書きますと、1社だけなら何とか回れます。ところが、前日になって近所に「梅ノ木天神大教会」という別の建物が存在すると判明。かといって何もない所で2時間半待つか6km歩くかなんて究極の選択はしたくないので、時間があれば足を延ばすことで妥協することに。

 バスを降り、境内目指して一直線に突撃。石鳥居を抜け、臥牛の脇を通り過ぎ、石段を駆け上る。そんでもって目についたものを片っ端からカメラに収める。

野見宿祢の墓(10KB)
野見宿祢の墓

 まずは菅原氏の遠〜い御先祖様、野見宿祢の墓。野見宿祢は出雲出身の伝説的な人物ですが、「俺より強い奴はいない!」と豪語していた大和在住の当麻蹴速たいまのけはや垂仁すいにん天皇の面前でボコボコにして勝っちゃったというK-1も真っ青な相撲の起源説話の生みの親です。また、その垂仁天皇の妃が亡くなった時、土で人形を作って人間の代わりとし、殉死の風習をやめさせたというエピソードがあることから、埴輪はにわ の生みの親ともされます。

 道真が子供の頃に穴を開けておもちゃにしていたものだから、いまだに種に穴が空いているという「鼻繰梅」。本当はこれも見たかったんですが、宮司宅の庭にあると言われても、肝腎の宮司さんちがどこにあるか分からない〜。バス1時間待ちなら思い切ってアポ入れておいたんですけど、あまりに半端過ぎました。

梅ノ木天神大教会(7KB)
梅ノ木天神大教会

 そして神社とは全く反対方向にあった梅ノ木天神大教会。敷地内に潜入したい気持ちはやまやまだったんですが、残り5分でそれは無理な話。離れたところから望遠で何枚か撮っているうちに、バスが戻ってきてしまいました。おそらく日本唯一の名前だと思うので、創建のルーツだけでも知りたかったのですが……。

 という訳で教訓。島根県行く時は現地でレンタカー借りた方がいいですよ〜。下手すれば2人組で交通費の元が取れたりしますから。

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リミックス版化現説話

(傾向)裏を取るとあっさり反証できることも、時にはあります。
(対策)御当地ネタにした方が親近感湧くってこと。

 「朝日新聞」京都版の連載「週刊まちぶら 小路上ル下ル」に吉祥院天満宮が登場した際(2006年1月30日付)、「道真の生誕地としては菅原院天満宮(上京区)や菅大臣神社(下京区)、奈良や出雲という説もあるという。すべて回って思いをはせるのもよいかもしれない。」という一文がありました。
 奈良は菅原天満宮のこと。滋賀県の余呉も含めて「道真出生の地」を称する場所はあらかた回ってますが、実際に行ってみた所でロマンもへったくれもないですよ。「よう歩くわ、アホちゃうか」と思うことはありますが。

 そして出雲説ですが、菅原是善これよしが出雲に赴任した時に野見宿祢の墓を訪れ、お手つきにした女性が産んだというのが話の骨子です。これに関して取り上げるべきは、藤原広兼ふじわらのひろかねが北野天満宮に奉進した『菅家文草』巻六の末尾に、大江佐国おおえのすけくに藤原資仲ふじわらのすけなかから聞いた話を載せていること。

 ある人が密かにある日記を見たところ、こんな事が書いてあったそうだ。「菅原院は参議是善卿の家だが、ある日、その邸の南の庭に五六歳の子供がいた。態度は優雅で容貌も優れていたので、是善卿が『どこの御子息か? どうしてここに?』と尋ねると、『特に家も両親もございません。貴殿の友人となりたいと思ったので……』という答えが返ってきた。是善卿はこの子がただ者でないと知り、受け入れることにした。そばにおいて学ばせたところ、日々才能を発揮した。彼が菅贈大相国かんぞうだいしょうこく(贈太政大臣菅原道真)である。」

 あまりに突飛な話を聞かされた佐国自身も事の真偽を計りかねているものの、天神縁起にも取り込まれ、すっかり定着した物語となっています。
 出雲ではさらにリミックスして、「母親が息子を連れて上京し、声を掛けられたら『あなたを父親としたい』と答えるよう言い含めた上で、父親の邸の庭に置いて去った」と展開します。実父だったら、そんな面倒な偽装工作は不要ですし、そもそも、母親が妊娠・出産した時期、是善は大内記・文章博士と文人官吏の要職を占めている以上(漢詩和歌快説講座「博士難」解説の表を参照)、地方に赴任した可能性がないんですね。母親が伴氏で、亡くなる間際まで顔を合わせていたのも「吉祥院法華会願文」で道真自身が述べている通り。むしろ、そこまでして御当地出身にしたがった理由の方が知りたいくらいです。

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