山陰亭

露天神社(7KB)
露天神社

所在地:大阪市北区曽根崎そねざき
 交通:大阪市営地下鉄・東梅田駅下車

キタのそのまた中心地プチ天神祭知ったかぶり『曽根崎心中』

キタのそのまた中心地

(傾向)飲み会に繰り出したらそこに神社。
(対策)夜の繁華街は難易度高し。地理に明るい人についていこう。

 大宰府へ向かう途中、道真が「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都の事を思い出づれば」と詠んだので「露天神社」の名がついたと言われています。

 この辺はいわゆる大阪のキタで、地下鉄の梅田駅・東梅田駅・西梅田駅、JRの大阪駅・北新地きたしんち駅、阪急と阪神の梅田駅と、駅の密集地帯です。メインストリート御堂筋みどうすじ沿い、大阪駅前第4ビルの東向かいにあります。都市の中心部、しかも歓楽地・曾根崎にあるため、昼夜を問わず人の出入りが絶えません。

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プチ天神祭

(傾向)混雑を気にせず至近距離で楽しめます。
(対策)日焼け止めとペットボトルと持久力?

 この神社の夏祭りは7月中旬に2日間かけて行われます。時節柄大阪天満宮の天神祭とかぶってしまうだけになかなか行く機会がなかったのですが、不意に思い立って見てきました。

 初日の夕方は宵宮祭。地車囃子・役太鼓・舞獅子が奉納されます。2日目が本宮祭。午前11時に例大祭を行い、午後1時頃から梅田の街を巡行し、8時過ぎに宮入りして終わります。とは言え、さすがに2日間も境内に貼り付くのは体力面でも財力面でも厳しいので、2日目の昼過ぎ、巡行の最初の部分だけ見物することに。

笠踊り(左)と舞獅子(右)(14KB)
笠踊り(左)と舞獅子(右)

 一行はグループ毎に境内で集合し、順番に外へ出ていきます。幼稚園単位で参加したかと思われるチビッ子の一団に続き、小さな笠や獅子頭を操るのは女子中高生のようです。白く長いタスキで着物の袖を肩までたくし上げ、茶色い横縞の袴をはき、腰には色とりどりの長い帯、頭には白いハチマキを締めたお揃いの出で立ち。
 笠踊りは、手に持った笠を前後左右に動かしながら踊り歩きます。舞獅子は2人が1組になり、前は獅子頭を持って舞い、後ろは獅子頭に付けられた長い布の端を持ち、動きをサポートします。いずれにしろ、真夏の炎天下ともなればかなりの運動量になるはずですが、表情はとても生き生きしています。

役太鼓(7KB)
役太鼓

 しんがりを飾るのは男性陣の役太鼓。やはり袖は肩までまくり上げられ、太もも半ばまでからげた裾の下に白い短パンがのぞきます。
 赤くて長い頭巾をかぶった人々が息を合わせて叩く太鼓の音をBGMに、太鼓を載せた台車は車道を走ります。後に続くは徐行運転とは思えない速度の自動車の列。境内を出て少し南下すると、すぐ複数車線からなる太い道路に出るのですが、別段交通規制も敷くことなく、勢い良く駆け抜けていきました。

 都市の中心部を、どこまで巡行するか追いかけても良かったのですが、境内でのんびり見物・撮影する人が多く、カメラを持って走る人もいなかったので、役太鼓の後ろ姿を見送ってひとまず終了。

 さながら天神祭の陸渡御のダイジェスト版といった感じの行列ですが、混雑の心配もなく、近くからじっくりと見物できるだけに、穴場狙いにはおすすめです。こと祭りとなると、女性はもっぱら裏方で、表に出るチャンスはなかなかないのですが、若いとは言え女性が堂々と踊っている姿が印象的でした。

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知ったかぶり『曽根崎心中』

(傾向)近松というのがいかにも大阪的。
(対策)間違っても正式名称で道を尋ねないこと。

 この神社はおはつ天神という別名の方が有名ですが、その名前は近松門左衛門の『曽根崎心中』に由来します。ワイドショー風に紹介しておきましょう。

 ──昨日4月7日早朝、大阪曽根崎の森で若い男女二人の死体が発見されました。男性は醤油屋の店員Aさん25才、女性は茶屋に勤めていたBさん19才。二人はなぜ、このような場所で命を絶ったのでしょうか。
 Aさんは勤務先の社長である叔父から、娘との結婚話を持ちかけられていました。当初、それが原因で交際相手のBさんと心中を図ったと思われていたのですが、実はもうひとつ、金銭をめぐるトラブルがあったのです。
 社長は婚約の手付金として銀2貫目をAさんの義母に渡していました。それを知ったAさんは手付金を返済しようとしました。母親からは取り戻せたのですが、先月の28日、Aさんはそのお金を友人C氏に全て貸してしまいました。ところがC氏は期限の3日になっても返さず、社長への返済期限を翌日に控えた6日、Aさんが返済を求めたところ、「借用証書は偽造したもの」と拒否し、知人と共にAさんに殴る蹴るの暴行を加えました。
 その日の深夜、二人は店を抜け出し、天神社の森の木の幹に体を縛りつけ、喉を刺して果てたのです。男性は身の潔白を訴えるため、女性は男への愛情の深さを示すための行動だったようです。

 で、このBさんの名前が「お初」だったわけです。そのため専ら縁結びの神社です。境内には二人の像まであるとの話。

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