山陰亭

原文解説口語訳

『菅家文草』02:118

詩情怨〈古調十韻〉  詩情怨〈古調十韻〉
呈菅著作、      菅著作かんちよさくに呈し、
兼視紀秀才      兼ねて紀秀才きしうさいしめ

去歳世驚作詩巧  去歳世は驚く 詩を作ることのたくみなることを
今年人謗作詩拙  今年人は謗る 詩を作ることのつたなきことを
鴻臚館裏失驪珠  鴻臚こうろ の館裏に驪珠 りしゆを失ひ
卿相門前歌白雪  卿相けいしやうの門前に白雪はくせつを歌ふ
非顕名賤匿名貴  名をあらはしたるはいやしく 名をかくしたるは貴きにあら
非先作優後作劣  先に作れるは優れ 後に作れるは劣るに非ず
一人開口万人喧  一人口を開かば 万人かまびすしく
賢者出言愚者悦  賢者言を出さば 愚者よろこ
十里百里又千里  十里 百里 又千里
駟馬如竜不及舌  駟馬しばは竜のごとくなれども 舌に及ばず
六年七年若八年  六年 七年 しくは八年
一生如水不須決  一生は水の如くなれども るをたず
一生如水穢名満  一生は水の如くなれども けがらはしき名満てり
此名何水得清潔  の名 いかなる水にて清潔なることを得ん
天鑑従来有孔明  天鑑てんかんは従来はなはだ明らかなること有れども
人間不可無則哲  人間じんかん則哲そくてつ無かるべからず
悪我偏謂之儒翰  我をにくみて ひとへ儒翰じゆかんなりと
去歳世驚自然絶  去歳に世の驚きしは 自然おのづからに絶ゆ
呵我終為実落書  我をして つひまことの落書と
今年人謗非真説  今年人のそしるは真説に非ず

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解説

 元慶7(883)年夏、道真は渤海ぼっかい(中国東北部にあった国)からの使節団を島田忠臣しまだのただおみ紀長谷雄きのはせおらと共に鴻臚館こうろかん(迎賓館)で接待しました。国際言語である漢文を駆使する文人にとって、外交の舞台に立つことは非常な名誉です。この時作った一連の応酬詩を『鴻臚贈答詩こうろぞうとうし』と題して1巻にまとめた際、道真は、「宴席で杯を重ねながらその場で作り、修正もせずに示した詩だ」と自尊心を込めて序文(『菅家文草』07:555「『鴻臚贈答詩』序」)に記し、一方で同席しなかった者から嘲笑される可能性を危惧したのですが、心配した通り、世間の評価はいたって冷たいものでした。そこで、やり切れない思いを大内記菅野惟肖すがののこれすえと文章得業生紀長谷雄に吐露したのが、この詩です。
 まず形式的なことに触れておきますと、冒頭に記した「去歳世驚」「今年人謗」の文字を、最後に改めて繰り返し、本来直結しないはずの第12・13句を「一生如水不須決/一生如水穢名満」と大胆にも対句としたのは、意識的な処理でしょう。さらに言えば、二四不同二六対を頻繁に犯す(第1句・第5句・第6句・第9句・第11句・第17〜19句)だけでなく、押韻の踏み外し(第1句)や仄三連そくさんれん(第6句・第10句)もあるなど、規則に縛られない古調詩らしい構成を取っています。

 前年、「思ふ所有り」に思いのたけをぶつけたように、道真は高官を批難した詩を作ったと疑われてひどく苦しんだのですが、その根拠は「良く出来た詩だから」というものでした。それが今度は「文章博士もんじょうはかせにしては下手」と言われたのですから、納得できるはずがありません。それゆえこの詩の中核をなすのは、去年の悪評と今年の批判という、これら2つの世評への反論なのです。
 人に送った詩だけに、無責任な世間への不満はオブラートに包まれています。しかし長谷雄と忠臣が菅原家の私塾の出身ということを考えれば、今回の誹謗中傷は、道真個人への攻撃であると同時に、菅家一門へ加えられた攻撃でもあったようです。また、詩を受け取った惟肖も、この塾と関係のある人物と考えられています。

 第12・13句の「一生は水の如し」云々も意味を取りづらいものの、第4句の「卿相の門前に白雪を歌ふ」はとりわけ難解な箇所です。前の句が鴻臚贈答詩を指す以上、この句が昨年の匿詩疑惑を言っていることは確かですが、厄介なのが「白雪」の語。日本古典文学大系は匿詩のこととしますが、「白雪」は高尚なために唱和できる者が少ないとされる難曲だけに、違法行為を指すには相応しくないように思います。そこで、真意を理解できるのはごく少数の人間だけ、という観点から、疑惑に対して反論した道真の詩、つまり「思ふ所有り」のことではないかと解釈しました。

 ところで、「儒翰」すなわち儒者詩人だから批難される、という言葉には、耳を傾けなければなりません。
 今でこそ政治と文学は相反するものですが、律令制にとって文学は政治に不可欠な存在でした。古代中国では、文学は政治の良し悪しを反映し、儒教に則って国を治める政治家は同時に優れた文学者でなければならないとされており、日本でもこの路線を踏襲したからです。その最盛期は平安初期の嵯峨天皇の時代で、道真の祖父清公は文壇の主要メンバーの一人でした。それが承和の変(842年)・応天門の変(866年)などの政変を経て、北家藤原氏が政権を掌握し、紀伝道出身者の地位が低下してゆくプロセスをここで詳述することは控えますが、やがて詩は無用の長物と見なされるようになりました。学界内部でさえ、そう考えられていたのです。儒者と詩人が分裂して対立する構図に対し、道真は紀伝道の嫡流として両者を兼ね備えた存在であろうとしました。
 道真の一生は、政治において文学が果たす重要性を主張し続けたものの、否定され、ついには『詩経』大序の「詩は志のく所なり」に帰らざるを得なかった人生だと見ることができますが、彼が生涯闘い続けた、詩人を許容しない時代風潮が、この詩にもはっきりと記されていたと言えるでしょう。

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口語訳

詩心の嘆き〈古調詩十韻〉
大内記だいないき菅野(惟肖これすえ)殿に贈呈し、
合わせて文章得業生もんじょうとくごうしょう紀(長谷雄)君に示す

去年世間は驚愕した 詩を作るのが上手だと
今年人々は非難する 詩を作るのが下手だと
(今年は)鴻臚館の中で黒竜の顎の下の珠を失い(失敗する危険を犯してまでわざとその場で作った詩を否定され)
(去年は)高官の邸の門前で(高尚で唱和するのが難しい)白雪の曲を歌った(俗人には支持されがたい詩で反論した)
名を明らかにする者が卑しく 名を隠す者が貴いのではない
先に作った詩が優れ 後に作った詩が劣るのではない
誰かが口を開けば 皆やかましく(騒ぎ立て)
優れた者が発言すれば 愚か者は(同調して)喜ぶ
十里 百里 また千里と
四頭立ての馬車は竜のように速く走るが 噂(が伝わる速さ)には及ばない
(元慶)六年 七年(と無責任な噂が流れ) あるいは八年(にもまた繰り返すのか)
一生は水のよう(に流れるもの)だが 決壊するのを待つことなく(よどみ)
一生は水のよう(に澄むもの)だが 汚名に満ちている
この名は どのような水で清くできるのだろう(どうすれば汚名をそそげるのか)
天の鏡は昔から公正明大だが
世の中は人の良し悪しを見分ける目がないようだ
私を憎んで ひたすら儒者で詩人だから(批難されるのだ)と言う
去年世間が驚愕した噂は いつの間にか消えた
私を(疑い)なじって とうとう本当の(私が書いた)落書だとした
(優れた詩だから私の作だと言うなら)今年人々が(下手な詩を作ったと)非難するのは真実ではない

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