山陰亭

火除天満宮(7KB)
火除《ひよけ》天満宮

所在地:京都市下京区寺町通四条下ル
 交通:阪急電鉄京都線・河原町駅下車
    京都市バス・四条河原町バス停下車

繁華街の隠れ家

繁華街の隠れ家

(傾向)一見さん歓迎という訳でもないと思うんですが……。
(対策)25日にきちんとお参りしたい人は一度首を突っ込んでみて下さい。

 錦天満宮があるのは新京極通ですが、そのひとつ西の通りが寺町通です。この道をずんずんと南下し、四条通を越えるとすぐ左手にあります。コンクリートむき出しのビルの脇に設けられた細い参道を突き抜けた、その奥にささやかな社殿があります。境内は広いとはお世辞にも言えないんですが、毎月25日にきちんと例祭が行われていますので、北野天満宮に行く前にちゃっかり御神酒をあおったことが何度かあります(笑)。午前11時開始という遅めの時間設定が、宵っ張りにはありがたいのです。北野はいつも(恒久に?)一般人扱いされるのも一因ですけど。
 孫同伴のおじいちゃんあり、スーツ姿のおじさんあり、ラフな格好のおばさんあり、参列者は多くても5〜6人程度。手水を使って床几に腰掛けて、白い狩衣に浅葱の袴姿のスタッフの祝詞を聞いて、めいめいが玉串奉奠に挑んだ後に、お下がりまで頂いてしまう、いわばお得なランチメニュー状態なのですが、一見さんがタダでここまで厚遇してもらってもいいのか悩むことはあります。氏子さんは普段からそれなりに費用出してますからね〜。とりあえず意識してスーツを着用するようにはしています。それから、何かと自分の動きが洗練されていないのは改善したいです。手慣れている人の前では目立つんですよ、不格好さが(泣)。
 スタッフに名刺を渡したことはありますが、あくまで不定期参加なので顔を覚えられているかは疑問含み。

 石製の小さな太鼓橋やそれなりに立派な大きさの臥牛もあるんですよ。

臥牛(7KB)
臥牛

 戦乱を避けて京都に来た大宰府の神官が、六条に道真の像を祭ったのを最初とします。まもなく織田信長親子の菩提を弔うべく烏丸御池近辺に建てられた大雲院の鎮守社となり、さらに大雲院の移転に伴って寺町四条に移りました。みな天正年間(1573〜1591)の話です。
 「火除」の名前を持つだけに、幕末の戦火や明治以降の火災でも焼けなかったのですが、さすがに高度経済成長の波には勝てなかったようで、敷地の大半がビルになってしまいました。

 東も西も百貨店、南は電器店街。観光客より買物客が集まるエリアだけに、道路でカメラを構えていると周囲の視線が背中に突き刺さります。こういう時は「史跡巡りが趣味の観光客」のフリをしてやり過ごすことが多いのですが、さっさと境内に入るのが正攻法ですね。

▼ 末尾へ▲ 先頭へ


トップこのサイトについて3分で読む菅原道真みちざねっと・きっずFAQ読者アンケート
苦しい時の神頼み普通の人のための読書案内漢詩和歌快説講座作品一覧「研究文献目録」補遺

(C)1996-2024 Makiko TANIGUCHI. All rights reserved.
http://michiza.net/jtp/jtphiyo.shtml