山陰亭

 天神画像は14世紀後半以降のものしか現存しませんが、承久本『北野天神縁起絵巻』が序文で「本地絵像にかきあらはしまいらせて」と述べ、『明月記』元仁2(1225)年3月4日条にも、強盗が「天神御影」などを盗んだという記事があるので、史料では13世紀初頭まで遡ることが可能です。さらに『大法師浄蔵伝』は没後すぐの延喜年間に画像を作って祭ったと記しますが、にわかには信じがたいものです。

 さて天神画像には、束帯そくたい天神・渡唐ととう 天神の2系統があります。渡唐天神は「空飛ぶ渡唐天神」で書きましたので、ここでは束帯天神についてまとめることにします。

 束帯はもちろん公家の正装ですが、さらに座っているもので「綱敷つなしき天神」とそれ以外に分類されます。
 現代人が想像しがちなのは、上畳に座っている姿でしょう。図版によく使われる「北野天神画像」(北野天満宮蔵)もそうですね。現存するのは南北朝時代の模写ですが、装束から見て原本はかなり古い時代のものと考えられるため、「根本御影」とも称されます。
 ただ、元来御霊神ですから、眉をしかめる、小鼻をふくらませる、前歯で下唇を噛む、もしくは口を軽く開いて上下の歯を見せるなど、さりげなく憤怒相に仕上げるのが基本です。さらには、目を見開き、目尻をつり上げ、片手で持った笏をもう片方の手で上から押さえつけることもあります。表情が温和になるのは時代が下がってからのことですね。こちらは梅と松を背景に描くのも特徴です。
 顔は左向きが多く、時々右を向きます。狩野永納の作品など、正面向きの場合もありますが、こうなると完全な礼拝対象ですし、視線が合うので、むしろ苦手です。

 次に綱敷天神。大宰府へ流される途中、座るものもなく、船のともづなを巻いて円座の代わりにしたという伝承に基づきます。表情から「怒り天神」と呼ぶこともあります。延文5(1360)年の賛を持つ作品が現存最古(常盤山文庫蔵)。通常の束帯天神以上に目をカッと開き、眉根を寄せ、下唇を噛み、笏を上から押さえつけています。苦悩の余り一晩で白髪になったという「一夜天神」と重ね、白髪・白鬚で描かれることも。とはいえ、白髪頭で目をひんむいた老人が袖をまくり上げていると、もう「この人誰?」って感じですね。

 以上の2つがスタンダードなものですが、その他、変わり種をいくつか。
 雲中に立つもの。荏柄天神社の創建縁起にちなみます。
 牛に乗るもの。狩野元信の作を見たことがありますが、絵馬に仕立てて欲しいと思うほど躍動感がありました。
 数珠を持って立つもの(鎌倉国宝館蔵)。大内盛見が夢で見た天神を描かせたものです。
 斜め後ろからの立ち姿を軽妙なタッチで描いた線画(古筆学研究所蔵)。ユーモラスな雰囲気がたまりません。
 座像の頭部以外を和歌で線書きしたもの(古筆学研究所蔵)。使用された和歌には「東風吹かば...」「このたびは...」など、道真の作品もあるらしいのですが、判別できませんでした。
 右手に梅の枝を持って立つもの(大阪天満宮蔵)。ほう(上着)のすそが不自然に短い上、表袴うえのはかまではなく指貫さしぬきをはく、きょ(下着のすそ)を曳いていないなど、束帯だか衣冠いかん (束帯の略装)だか分からない格好をしているだけでも十分個性的なのですが、「唐衣織らで北野の神ぞとは……」という、渡唐天神ゆかりの和歌まで書き添えてあって、分類基準から見事に外れてしまっています。

 天神縁起の場面を抜き出して単独の絵に仕立てるのは近代以後の傾向のようで、それ以前にはあまり例がありません。「九月十日」にちなむ「恩賜御衣」のエピソードは、教科書に掲載されたこともあり、日本画家にとって格好の題材だったようです。しかしそれとは別に、「芸術新潮」1994年3月号に写真が掲載された小林永濯「道真天拝山祈祷の図」を挙げておきます。パワフルな構図と筆致に驚かされますよ。
 いずれにしろ、近代以後の作品をまとめて展示する機会があれば……、と思うのでした。

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