山陰亭

原文解説口語訳

『菅家文草』03:221

路遇白頭翁  みち白頭翁はくとうおう

路遇白頭翁    路に白頭翁に遇ふ
白頭如雪面猶紅  白頭は雪のごとくなれども 面はなほ くれなゐなり
自説行年九十八  みづかく「行年かうねん九十八
無妻無子独身窮  妻く子無く 独りの身窮す
三間茅屋南山下  三間さんかん茅屋ばうおく 南山のもと
不農不商雲霧中  たがやさずあきなはず 雲霧のうち
屋裏資財一柏匱  屋裏おくり  財をたすく いつの柏はくき
匱中有物一竹籠  匱中きちう  物り 一の竹籠」と
白頭説竟我為詰  白頭説きをはり 我ためなじ
老年紅面何方術  「老年の紅面 いかなる方術はうじゆつ
已無妻子又無財  すでに妻子無く また財も無し
容体魂魄具陳述  容体魂魄ようていこんぱく つぶさに陳述ちんしゆつせよ」と
白頭抛杖拝馬前  白頭 杖をなげうちて馬前に拝し
慇懃請曰叙因縁  慇懃いんぎんけてふ「因縁をべん
貞観末年元慶始  貞観ぢやうぐわんの末年 元慶がんぎやうの始め
政無慈愛法多偏  まつりごとに慈愛無く 法にかたより多し
雖有旱災不言上  旱災かんさい有りといへども言上げんしやうせず
雖有疫死不哀憐  疫死えきし 有りと雖ども哀憐あいりんせず
四万餘戸生荊棘  四万餘戸よこ 荊棘けいきよくを生じ
十有一県無爨煙  十有一県 爨煙さんえん無し
適逢明府安為氏  たまたま明府に逢へり 安をうぢ
 〈今之野州別駕〉  〈今の野州別駕やしう べつがなり〉
奔波昼夜巡郷里  昼夜に奔波ほんぱ して 郷里がうり を巡る
遠感名声走者還  遠く名声に感じて げしひとかへ
周施賑恤疲者起  あまね賑恤しんじゆつを施して 疲れし者も
吏民相対下尊上  吏民りみん あひ対し 下は上を尊び
老弱相携母知子  老弱らうじやくたづさへて 母は子を知る
更得使君保在名  さら使君しくん を得たり ほう 名に
〈今之豫州刺史〉  〈今の豫州刺史よしうししなり〉
臥聴如流境内清  臥聴ぐわてい流るるがごとく 境内けいないきよ
春不行春春遍達  春は春にあるかずとも 春あまねとど
秋不省秋秋大成  秋はみのりずとも 秋おほいに
二天五袴康衢頌  二天五袴にてんごこ 康衢かうく しよう
多黍両岐道路声  多黍両岐たしよりやうき 道路の声
愚翁幸遇保安徳  愚翁ぐおう  幸ひに保安ほうあんの徳に
無妻不農心自得  妻無くともたがやさずとも 心自らに得たり
五保得衣身甚温  五保ごほう 衣を得て 身はなはだ温かく
四隣共飯口常食  四隣しりん 飯を共にして 口常に
楽在其中断憂憤  楽しみは其のうちりて 憂憤を断ち
心無他念増筋力  心は他念無く 筋力を増す
不覚鬢辺霜気侵  鬢辺びんぺん霜気さうき の侵すことを覚えず
自然面上桃花色  自然に面上に桃花の色あり」と
我聞白頭口陳詞  我 白頭の口陳こうちんせしことばを聞き
謝遣白頭反覆思  白頭に謝遣しやけんして反覆はんぷくして思ふ
安為氏者我兄義  安を氏と為すひとは我が兄の義あり
保在名者我父慈  保の名に在る者は我が父の慈あり
已有父兄遺愛在  すでに父兄の遺愛の在ること有り
願因積善得能治  願はくは積善せきぜんりて能く治むることを
就中何事難仍旧  就中なかんづく 何事にかもとることかたからん
明月春風不遇時  明月春風 時に遇はず
欲学奔波身最嬾  奔波を学ばんと欲すれど 身最もものう
将随臥聴年未衰  臥聴に随はんとすれども 年衰へず
自餘政理難無変  自餘じよの政理 変無きこと難し
奔波之間我詠詩  奔波のあひだに我は詩を詠ぜん

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口語訳

道で白髪頭の老人に出会う

道で白髪頭の老人に出会う
頭髪は雪のように白いのに 顔は(若者のように)赤味を帯びている
自ら語る「としは九十八歳
 妻も子もなく 貧しい一人暮らし
 かやいた柱三間の貧居が 南の山のふもとにあり
 (土地を)耕しもせず商いもせず 雲と霧の中で暮らしております
 財産としては 家の中に 柏の木で作った箱が一つ
 箱の中にあるのは 竹籠一つでございます」
老人が話を終えたので 私は問うた
「その年で若々しい顔なのは どのような仙術ゆえか
 すでに妻子もなく また財産もない
 姿形や精神について 詳しく述べよ」
老人は 杖を投げ出して(私が乗っている)馬の前で一礼し
丁寧に(私の言葉を)受けて語る「(それでは私が元気な)理由をお話し致します
 (今から十年ほど前の)貞観じょうがんの末 元慶がんぎょうの始め(の頃は)
 政治に慈悲(の心)はなく 法律も不公平に運用されていました
 旱魃が起きても(国司は減税措置を取るよう朝廷に)申請することもせず
 疫病で死ぬ者がいても(役人は食料を援助して)哀れむことはありませんでした
 (かくして国内全域が荒廃し)四万余りの民家に いばらが生え
 十一県に 炊事の煙が立たなくなりました
 (しかし)偶然(ある)太守に出会いました (それは)「安」を姓とする方
  〈現在の上野介こうずけのすけ安倍興行あべのおきゆき)のことである〉
 (安様は)昼夜奔走して 村々を巡視されました
 (すると)はるばる名声に感じ入って (課税を逃れて他国へ)逃亡した者も帰還し
 広く物品を援助し 疲弊した者も立ち上がりました
 役人と民衆が向かい合い 下の者は上の者をたっとび
 老人と若者が手をつなぎ合い 母は子(の孝行心)を知りました
 さらに太守を得ました (それは)「保」を名に持つ方
  〈現在の伊予守いよのかみ(藤原保則やすのり)のことである〉
 (彼は)横になったまま滞ることなく政務を執り 国内は平和になりました
 春は国内を巡視しなくとも 生気が隅々まで届き
 秋は実り具合を視察しなくても 豊作となりました
 天が二つにはかまが五本と 通りには称讃の言葉
 きびはたわわに麦はふた股と 道には(喜びの)声
 翁めは 幸運にも保様と安様の徳に出会い
 妻がおらずとも耕さずとも 心はおのずと満ち足りております
 隣組の人が衣服を提供してくれますので 体はとても温かく
 近所の人と一緒に食事をしますので 食べ物にも事欠きません
 楽しみはその(貧しいながら悠々自適の生活の)中にあって 憂いや憤懣を断ち
 心中には余計な思いもなく 体力を増します
 (それゆえ)びん(耳周辺の髪)のあたりが白くなることにも気付かず
 自然と顔が(若々しく)桃色になるのです」と
私は 老人の語った言葉を聞き
礼を述べて老人を帰らせ(話の内容を)振り返って思う
「安」を姓とする人には私の兄の(ような)恩義がある
「保」を名に持つ人には私の父の(ような)慈愛がある
(この国には)すでに父兄の恩愛が残っている
どうか(私も彼等の)積み重ねた善行(の遺産)によって上手く治めたいものだ
(だが)とりわけ昔どおりには行かないのはどの事柄だろう
(詩の題材となる)明るい月や春の風は 時世にそぐわない
(興行殿の)奔走をまねようとしても 身体が皆ままならず
(保則殿の)臥聴にならおうとしても (そこまで)年齢を重ねていない
その他の政治の手法にも 変更がないことはないだろう
奔走する合間に私は(政務の一端として)詩を詠もう

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