山陰亭

原文解説口語訳

『菅家文草』03:236(4)

舟行五事(4)  舟行しうかう五事(4)

海中不繋舟  海中 つながざる舟
東西南北流  東西南北に流る
不知誰本主  知らず 誰が本主か
一老泣前洲  一老 前洲せんしうに泣けり
聞塩価翔貴  塩価 翔貴しやうきせりと聞き
逆風去不留  風にさからひ 去りて留らず
夜行三四里  夜に行くこと 三四里にして
触石暗中投  石に触れ 暗中に投ぜらる
折楫随潮蕩  折れしかぢ 潮にしたがひてうご
空籠遂浪浮  空しきかご つひなみに浮かぶ
欲求十倍利  十倍の利を求めんとほつ
還失一生謀  かへりて一生のはかりごとを失ふ
老泣雖哀痛  老いのなみだ 哀痛あいつうなりといへども
虚舟似放遊  むなしき舟 放遊はういうするに似たり
有人前有禍  人らば 前にわざはひ有り
無物後無愁  物くんば 後にうれひ無し
冒進者如此  冒進ぼうしんするひとくのごと
虚心者自由  虚心きよしんなる者は自由なり
始終雖不一  始終 一ならずと雖ども
請我学荘周  請ふ 我は荘周を学ばんと

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解説

 仁和3(887)年秋、讃岐から都へ向かう船の中で詠んだ連作5首の第4首です。
 ふと沖を見やると、一隻の小舟が波の上で揺れているのが見えました。そして陸地では、老人がひとり、泣いているではありませんか。何でも、高騰している塩で一儲けしようと夜中に船を出したものの、船が石に接触して転覆し、命だけは助かったが、塩どころか船まで失ってしまったと言うのです。きっとあの小舟が彼の船だったのでしょう。
 台風の中、船で荒波を突っ切り、江戸へミカンを輸送して莫大な利益を得たのは、江戸時代の豪商紀伊国屋文左衛門ですが、そう話はうまく運びません。暗闇で船の操作を誤り、人も荷物も海上に投げ出されました。塩は海に溶けて海水に戻り、後には空になった籠だけが、折れた櫂ととともに波間に浮かんでいます。

 変に欲を出して投機に乗り出したばかりに、生活の糧までなくしてしまった主人をよそに、船はお構いなく揺れています。道真は「物事に囚われるからこんなことになるのだ」とあきれながら、こなたの老人とかなたの船を見比べ、『荘子』列禦寇れつぎょこうの冒頭に収められた話を思い出します。それは、このような話です。

 せいの国に行ったはずの列子れっし (列禦寇)が途中で帰ってきた。「飲み物屋ですら自分の威光に感じ、無償で商品を差し出しましたから、君主ともなれば自分に政務を押し付けるに違いありません。それは困るから帰ってきたのです。」それを聞いた隠者は、「そう考えていれば、君のところに人が押し掛けるぞ」と注意を促した。
 しばらくして隠者が列子の元を訪れると、本当に人が殺到していた。隠者は黙って立ち去ろうとしたが、列子は後を追い、教えを乞うた。隠者は言う、「これも人が集まらないようにさせる力が君にないからだ。人の心を動かそうとすると、自分の本性まで動かすことになる。周囲に集まった者は皆、君に忠告も出来ぬただの毒だ。悟ったり悟らせたり出来ない者と付き合ってどうする? 巧みな者は苦労し、知恵ある者は心配する。だが無能な者(=真の聖人)は何も求めず、繋がれることのない小舟が水上を漂うように、心にわだかまりなく逍遥するものだ」と。

 「名声を避けたつもりで名声に囲まれている君は軽蔑の対象にしかならぬ!」と言うのが隠者の本音ですが、あるがままの姿を認め、作為や外物にわずらわされることなく生命を全うすることが荘周(荘子)の考え方でした。そして道真は『荘子』はともかく、赴任先に『老子』を持ち込んで読んでいたことは確かです(『菅家文草』03:223「書を読む」・04:259「客舎の書籍」)。
 儒学も老荘思想も仏教も、区別なく受け入れるのが当時の知識人で、手垢のついた言葉の中にも『荘子』に由来する表現が見受けられます。この「繋がれることのない小舟」=「虚舟きよしゅう」もその一つで、何物にもとらわれない心を意味します。地位と名声に囚われてばかりの道真とは相容れない気もしますが、君子を登用しようとする儒学より、気持ちだけが空回りする現実と妥協できる老荘思想の方が、稽古の力による栄達の可能性が徐々に閉ざされていく時代に都合が良かったことは否めません。

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口語訳

船旅(で見た)五つのこと(4)

海中に(漂う) 繋がれることのない小舟
(その舟は)東西南北に(あてもなく)流れる
元は誰の物だったかは分からない
一人の老人が 近くの中洲なかす で泣いている
塩の価格が 高騰したと耳にして
風に逆らって (住処を)去って留まらなかった
夜に進むこと 三四里で
石に接触し (小舟ごと)暗闇に投げ出された
折れたかいは 潮(の流れ)に合わせて動き
(塩が入っていた)空の籠は かくして波に浮かんでいる
(彼は目先にある)十倍の利益を手に入れようとして
逆に一生の計画を失った
老人の涙は 哀しく痛ましいが
空の小舟は のびのびと楽しんでいるようだ
人がいれば その前に災いがある
(囚われる)物事がなければ その後に心配はない
思慮なく突き進む者はこの(老人の)ような目に遭い
心にわだかまりを持たない者は自由である
物事の初めと終わりは 同じではないが
私は荘周(の教え)を学ぼうと思う

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