山陰亭

原文解説口語訳

『菅家文草』04:302

小男阿視、留在東京。    小男阿視あみとどまりて東京とうけいり。
写送田大夫         田大夫が
「禁中瞿麦花三十韻」詩云、 「禁中の瞿麦花くばくくわ三十韻」の詩を写し送りてはく、
「此詩也、応詔作之。    「の詩や、みことのりに応じて作れり。
 時人重之。故奉之。」。   時人重んぜり。ゆゑたてまつる。」と。
予、吟之翫之、       予、吟じてもてあそべるも、
不知其足。         の足るを知らず。
仍製一篇、続于詩草、    よつて一篇をつくり、詩草にぐ、
云爾。           云爾しかいふ

家児不問老江濆  家児は江濆かうふんに老ゆることを問はず
只報相如遇好文  ただ 相如しやうじょの好文にへりしことのみを報ず
三百真珠無趾至  三百の真珠 あし無くして至り
九重嘉草有名聞  九重きうちようの嘉草 名有りて聞こゆ
詩尋此地凌蒼海  詩はの地を尋ねて 蒼海をしのげしも
花託何人種白雲  花はいづれの人に託して 白雲にゑん
菅〓若応添雨露  菅〓かんくわい 雨露うろに添ふべくんば
吐華将奉聖明君  はなを吐きて 聖明の君にたてまつらんとす

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解説

 寛平元(889)年の秋、讃岐の道真のもとに息子から手紙が届きました。「阿視」は当時14歳の少年だった高視たかみ (876〜913)の幼名です。手紙を開くと、挨拶もそこそこに、島田忠臣しまだのただおみの「禁中の瞿麦花」と題した五言三十韻の排律はいりつ詩が書きつけてありました。この詩は詩序と共に『田氏家集でんしかしゅう』に収録されており(03:136「五言、禁中の瞿麦花の詩、三十韻」)、全文を読むことができます。宮中に咲く撫子の花の美しさを、見立てを駆使して描いた優美な詩で、人々に賞賛され、道真の琴線にも触れました。そこで道真が詠んだのがこの詩です。

 わざわざ三百字もの長篇を書き送ったところを見ると、高視は忠臣の孫だったのではないかと思われますが、世間の評判以上に道真が関心を寄せたのは、第2句で忠臣を司馬相如しばしょうじょ(前漢の名文家、賦の才能により民間から登用された)に比して述べるように、今度の帝(宇多うだ天皇)は学問を重んじる人物らしい、ということでした。
 年中行事の宴席でもないのに文人を呼んで詩を作らせる帝なら、自分も目を掛けられるかもしれない。道真はそう期待し、最終2句で雨露に濡れる植物にこと寄せて自らも恩恵に浴したいと希望を述べます。

 「雨露」に「天子の恩」の意味を込めるのは道真に限ったことではなく、白居易にも見られる表現です(小野泰央氏「平安朝の公宴詩における述懐について」「国語と国文学」74-9、1997年9月)。
 もちろん「菅」は植物ですが、「遠客の光栄 自らに近郊/づらくは 君 翰苑かんえん菅茅に遇はむことを」(『菅家文草』05:424「(渤海)副使のむくいられし作に和す」)、「臣はもと槐林くわいりん(おそらく「翰林かんりん」の誤写)菅〓かんしよく(すげとおもだか)の士/春を迎へて楽しぶところ 春ごとたけなはなり」(06:446「早春の内宴にて、清涼殿に侍り、同じく『草樹暗くして春を迎ふ』を賦す、応製」)と同じく、小人物の比喩に「菅原」を掛けています。

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口語訳

息子阿視は、(父親に同行せず)左京に残っていた。
(そして)島田(忠臣)殿の
「宮中の撫子なでしこ三十韻」の詩を書写して(私の元に)送り、
「この詩は、(帝の)詔に応じて作ったものです。
 今の人は(この詩を)たっとんでいますので、差し上げます。」と(手紙に)書いてきた。
私は、(この詩を)詠じて愛でたが、
飽き足らなかった。
そこで(詩)一篇を作り、(忠臣殿の)詩稿に続ける、
という次第。

息子は(父が)川辺で年老いることについてはねぎらうことなく
ただ(本朝の)司馬相如(とも言うべき人)が学問を好む帝に遇ったことだけを知らせてきた
三百字の真珠は 足もなく(讃岐まで)やって来て
宮中の名草は 名声あって(遠方に)伝わった
詩はこの地を尋ねて青い海を渡ったが
(撫子の)花は誰にことづけて 白い雲に植えさせようか(花ばかりは届けようがない)
もしすげかやが 雨や露に濡れることがあれば(小人物に過ぎない私でも帝の恩を受ける機会があれば)
花を咲かせて 聡明な天子に捧げたいものだ(一所懸命にお仕えしよう)

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