対残菊詠所懐、寄物・忠両才子 残菊に対して所懐を詠じ、物・忠両才子に寄す
思家一事乱無端 家を思へば 一事すら乱れて
半畝華園寸歩難
偏愛夢中禾失尽 偏愛す 夢中に
不知籬下菊開残 知らず 籬下に菊の開き残れることを
風情用筆臨時泣 風情は筆を用ゐて 時に臨んで泣き
霜気和刀毎夜寒 霜気は刀に和して 夜毎に寒し
莫使金精多詠取 金精をして 多く詠み取らしむることなかれ
明年分附後人看 明年は後人に
寛平元(889)年9月、讃岐守の任期満了を来春に控え、知人ふたりに書き送った詩です。「物」「忠」の両名が誰を指すのかは不明。
「残菊」には「しおれた菊」「(重陽を過ぎた)時節遅れの菊」の二つの意味があり、注意が必要ですが、9月10日以降の作であり、また菊に自分自身を投影していることから考えて、後者の要素が強いようです。
また「籬下の菊」とくれば、想起されるのは、
さて最後の句の「分附」は、文字通りの「分け与える」という意味ではありません。法律の条文に、
凡そ防人 至らんと欲せば、所在の官司、預め部分と為 よ。防人至りし後の一日、即 ち旧 の人と共にせよ。分付し交替して訖 らしめよ。〈謂ふこころは、主当の処、器仗等の類有り。故に「分付」と云ふなり。〉(『令義解』軍防令59欲至条)
とあるように、「引き継ぐ」ことを指します。とりわけ、
遷任の国司及び新任の人、分付・受領するに百廿日を過ぐれば、見任を解却し、并 せて俸料を奪へ。(『延暦交替式』延暦十七年四月七日付太政官符)
と、国司交替の際、「前任者が後任者に引き継ぐ」という意味で用いられることが多く、後任者から見た「
そしてもう一つ、「夢中禾失尽」というのは、『
茂、初め広漢に在り。夢に大殿に坐すに、極 の上に三穂の禾有り。茂、跳びて之 を取るに、其 の中穂を得、輒 ち復 た之を失ふ。以て主簿郭賀に問ふに、賀、席を離れて慶びて曰く、「大殿は宮府の形象なり。極に禾有るは人臣の上禄なり。中穂を取るは、是れ中台の位なり。字に於て『禾失』は『秩』と為す。之を失ふと曰ふと雖 ども、乃 ち禄秩を得る所以なり。袞職 に闕 有り、君其 れ之に補せらるるらん。」と。旬月にして茂徴 され、乃ち賀を辟 して掾と為す。(『後漢書』巻二十六・蔡茂伝)
蔡茂が広漢太守であった時、「棟木の上にあった三本の禾(粟や稲)のうち、真ん中を跳び取ったものの、すぐ失う」という奇妙な夢を見たので、書記官に尋ねると、「それは宮中に栄転する前兆です」という答えが返ってきた、という話です。「今は地方官だが、いずれ都に戻りたい」というのが道真の言わんとするところなんでしょう。だから官舎に菊が咲いたことにも気付かなかったんですね。
残菊に向かい合って思いを詩に詠み、物・忠の両才子に贈る
都の自宅のことを思うと 一つのことでさえ心が乱れて終わりがなく
(目の前の)小さな花園でも少し歩いてみる気がしない
ひたすら心を寄せる 夢の中で禾がすっかり失われ(て地方官から宮中に栄転す)ることに
気付かなかった 垣根の下に菊が時節遅れで咲いているとは
詩境は筆を用いて記し (晩秋の)時を迎えて(悲しくて)泣き
霜の気配は刀に呼応するようにやって来て 夜ごとに寒さを増す
(この菊の花を)秋風に多く詠み取らせて(しおれさせて)はならない
来年は後任者に引き継いで見せることにしよう