庚申夜、述所懐 庚申の夜、懐ふ所を述ぶ
故人詩友苦相思 故人なる詩友 苦だ相思ふ
霜月臨窓独詠時 霜月 窓に臨みて 独り詠ずる時
己酉年終冬日少 己酉の年終はりて 冬の日少なし
庚申夜半暁光遅 庚申の夜半ばにして 暁の光遅し
燈前反覆家消息 燈前に反覆す 家の消息
酒後平高世嶮夷 酒後に平高す 世の嶮夷
為客以来不安寝 客と為りて以来 安寝せず
眼開豈只守三尸 眼を開く 豈 只 三尸を守るのみならんや
寛平元(889)年12月3日、道真45歳の時の作です。年が明ければいよいよ讃岐守の任期も満了です。
人間の体内に棲む3匹の虫(三尸)が抜け出して天帝の所に行き、その人の悪事を暴露しないよう、庚申の日には眠気覚ましに管絃などものしながら、夜通し起き続けるという風習があります。
ひとり窓辺に座し、燈火のもと筆を手に取ると、本当なら都で詩を詠み合ったかもしれない親友のことが愛おしく思われます。「故人」は物故者ではなく親友のこと。「相思」の「相」は後に続く動詞が相手に及ぶことを指す語。「お互いに」のニュアンスはありません。
寛平元年の干支は己酉ですが、残り1ケ月を切り、いよいよ初春の到来が待ち遠しいところです。しかし晩冬という時節も手伝ってか、庚申の夜はなかなか明けません。そこで家族の手紙を取り出して読み返してみると、世間のことがあれこれ思われます。
中央政府が大混乱に陥った阿衡の紛議や讃岐国内の旱魃から1年が経過し、特に頭を悩ませる外的要因は見当たらないのですが、道真の本音は最終2句に良く表れています。すなわち「赴任してから熟睡することもなく、三尸のためだけに起きているわけではない」という言葉に。これは、讃岐に赴任した年にも、「旅人は夜毎に三尸を守る」(03:211「諸の小児と同じく、旅館の庚申の夜、『静室に寒燈明らかなり』の詩を賦す」)と告白しているのと軌を一にします。
いつも彼の頭から離れないのは、中央における学者・応製詩人としての立場であり、こと政務に振り回される日中に比べ、夜が来る度、自分の身の振り方について考え込まざるを得ませんでした。結果、この翌月には、体調不良を口実に、後任者への事務引継ぎも放り出して帰京してしまうという、生真面目な彼には似つかわしくない行動に出てしまいます。
庚申の夜、心情を述べる
親しい詩の友に ひたすら思いを寄せる
(それは)霜降る寒々とした月の下 窓辺に行き 独り詩を読む時
己酉の年が暮れ 冬の日もわずか
庚申の夜は半ばを過ぎ 夜明けの光は遅い
灯火を前に読み返すのは 家からの手紙
酒を飲んだ後に平らかになり高くなるのは 世間の険しさと安らかさ
旅人となって(讃岐に赴任して)から 安眠したことはない
目を開いているのは なぜただ(身中に潜む)三尸の虫を防ぐためだけなのだろうか
http://michiza.net/jcp/jcpkb318.shtml