風雨
朝朝風気勁
夜夜雨声寒
老僕要綿切 老僕 綿を
荒村買炭難 荒村 炭を買ふこと
不愁茅屋破
偏惜菊花残
自有年豊稔
都無叶口餐
延喜2(902)年秋の五言律詩。韻字は上平声一四寒韻。公の場で詠む内容でもないのに、平仄は完全に対をなしています。こういうところが道真の美文主義的な部分と言えなくもありません。
朝方の風といい、夜半の雨といい、日々寒さが厳しさを増してきます。召し使う老人も、綿入れの着物が欲しいと訴えますが、 こんな場所では暖を取る炭を購入することとてままなりません。九ケ国を統括する出先機関・大宰府政庁、その南に延びるメーンストリート沿いの広い敷地が「荒村」であるはずはありませんが、文学は虚実皮肉の間にあるものでしょう。
風と雨で粗末な家がどうなっても構わない、むしろ手塩に掛けて育てた庭の菊が傷むことだけが恨めしいのだ、と精神面を重視する思考を見せたあと、世間がいくら豊作だと喜んだところで、自分のもとに届かなければ何の意味もないじゃないか、と珍しく物質がらみの愚痴がこぼれます。
大宰府で道真がどの程度の生活水準を保障されていたのか、誰しも気になるところではないでしょうか。
軟禁状態のため公務に携わることはありませんでしたが、一応給料は支給されていました。しかし、左遷された年に藤原
加齢とストレスも考慮する必要はありますが、484「
長雨のために湿気がちで
かまどの火も絶えてしまった
釜の中には魚が住み着き
階段の敷き瓦ではカエルがやかましく鳴いている
百姓の子が野菜を持ってきたので
台所で子供が薄味のおじやを作る
痩 せた体は連れ合いを亡くした鶴のようで
飢 えた姿はひなどりを脅 かす鳶 に似ている
(中略)
世間とはますます隔てられ
家からの手紙も届かない
帯がゆるみ紫色の上着が色あせるのに泣き
鏡を見れば白髪頭が嘆かわしい
ろくに炊事もできないので、げっそりやつれた姿が窺えます。
風と雨
毎朝 風は強く(吹き)
毎晩 雨音は寒々と響く
老いた召使は (寒さをしのぎたくて)切実に綿を欲しがるが
寒村では 炭を買うこともままならない
気にならない (風と雨で)貧居が傷むことは
ひたすら惜しいのだ 菊の花が傷むことが
おのずと豊作の年であっても
口に合った食べ物はない