山陰亭

原文解説口語訳

『菅家後集』507

風雨

朝朝風気勁  朝々てうてう 風気つよ
夜夜雨声寒  夜々やや 雨声寒し
老僕要綿切  老僕 綿をもとむること切なれども
荒村買炭難  荒村 炭を買ふことかた
不愁茅屋破  うれへず 茅屋ばうおくの破るることを
偏惜菊花残  ひとへに惜しむ 菊花のそこなはるることを
自有年豊稔  おのづからに年の豊稔ほうじんなることれども
都無叶口餐  すべて口にかなさん無し

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解説

 延喜2(902)年秋の五言律詩。韻字は上平声一四寒韻。公の場で詠む内容でもないのに、平仄は完全に対をなしています。こういうところが道真の美文主義的な部分と言えなくもありません。

 朝方の風といい、夜半の雨といい、日々寒さが厳しさを増してきます。召し使う老人も、綿入れの着物が欲しいと訴えますが、 こんな場所では暖を取る炭を購入することとてままなりません。九ケ国を統括する出先機関・大宰府政庁、その南に延びるメーンストリート沿いの広い敷地が「荒村」であるはずはありませんが、文学は虚実皮肉の間にあるものでしょう。

 風と雨で粗末な家がどうなっても構わない、むしろ手塩に掛けて育てた庭の菊が傷むことだけが恨めしいのだ、と精神面を重視する思考を見せたあと、世間がいくら豊作だと喜んだところで、自分のもとに届かなければ何の意味もないじゃないか、と珍しく物質がらみの愚痴がこぼれます。

 大宰府で道真がどの程度の生活水準を保障されていたのか、誰しも気になるところではないでしょうか。
 軟禁状態のため公務に携わることはありませんでしたが、一応給料は支給されていました。しかし、左遷された年に藤原清貫きよつらが現状視察に立ち寄った際、実質上のトップであった大宰大弐だざいのだいに小野葛絃から「大宰権帥だざいのごんのそつの処遇にふさわしくない」という批判の声が出ており、決して満足のゆくものではありませんでした。

 加齢とストレスも考慮する必要はありますが、484「こころぶ、一百韻」が道真の生活水準を考えるヒントになりそうです。

長雨のために湿気がちで
かまどの火も絶えてしまった
釜の中には魚が住み着き
階段の敷き瓦ではカエルがやかましく鳴いている
百姓の子が野菜を持ってきたので
台所で子供が薄味のおじやを作る
せた体は連れ合いを亡くした鶴のようで
えた姿はひなどりをおびやかすとびに似ている
     (中略)
世間とはますます隔てられ
家からの手紙も届かない
帯がゆるみ紫色の上着が色あせるのに泣き
鏡を見れば白髪頭が嘆かわしい

 ろくに炊事もできないので、げっそりやつれた姿が窺えます。

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口語訳

風と雨

毎朝 風は強く(吹き)
毎晩 雨音は寒々と響く
老いた召使は (寒さをしのぎたくて)切実に綿を欲しがるが
寒村では 炭を買うこともままならない
気にならない (風と雨で)貧居が傷むことは
ひたすら惜しいのだ 菊の花が傷むことが
おのずと豊作の年であっても
口に合った食べ物はない

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