謫居春雪
盈城溢郭幾梅花 城に
猶是風光早歳華
雁足粘将疑繋帛
烏頭点著思帰家
延喜3(903)年正月、59歳の作で、絶筆。雪を詠んだ詩でありながら「雪」や「白」などの文字を使っていないところは驚きです。
雪を白梅に見立て、白色から連想される中国の故事を引き合いに出して帰郷の思いを切々と述べた詩ですが、
(延喜)三年正月(中略)遺言して曰 く、「余、外国に死を得たる者は骸骨を故郷に帰すを見る。思ふところあるによりてこの事願はず(中略)」と。(「北野天神御伝」)
という記述とはどうも相容れない。それで随分悩んだ末、どうにか結論らしきものにたどり着きました。
すなわち、「帰るなら生きているうちで、死んでしまえば無意味どころか逆効果」ではないかと。この遺言の続きが「代々続く法要を絶やすな」という趣旨だったので思いついた憶測ですが、まあ参考までに。
学界の名門としての菅原家に対する道真の意識の強さは、専門家の間では有名な話ですが(例えば『菅家文草』02:087「博士難」を参照)、それでいくと「生存中に帰京=名誉回復」、「死亡後に帰京=罪人のまま先祖代々の墓地に埋葬される」という図式が浮かんだ訳です。体面を気にする人間が後者を選択する可能性はあるのでしょうか、さて。
左遷先での春の雪
政庁に満ち外壁に咲きあふれるのは どれほど多くの梅の花なのだろう
やはりこれは風に揺られて光る年の初めの花なのだ
雁の足に粘りついている(のを見る)と (漢の
烏の頭に点々とついている(のを見る)と (