『鴻臚贈答詩』序 『
〈元慶七年五月、 〈
余、依朝議、 余、
仮称礼部侍郎、 仮に
接待蕃客。
故製此詩序〉
余、以礼部侍郎、 余、礼部侍郎を
与主客郎中田達音、
共到客館。 共に客館に到る。
尋安旧記、 旧記を
二司大夫、
自非公事、不入門中。
余、与郎中相議、 余、
「裴大使七歩之才也。 「
他席贈遺、 他席に
疑在宿構。 疑ふらくは
事須別預宴席、
各竭鄙懐。
面対之外、 面対の
不更作詩也。」。
事議成事定。
毎列詩筵、
解帯開襟、頻交杯爵。 帯を解き
凡厥所作、不起稿草。
五言七言、六韻四韻、
黙記畢篇、文不加点。 黙記して
始自四月二十九日 四月二十九日に
用行字韻、 行字を韻に
至于五月十一日 五月十一日に、
賀賜御衣、 御衣を
二大夫・両典客、 二大夫・両
与客徒相贈答、
同和之作、 同和せし作、
首尾五十八首。
更加江郎中一篇、
都慮五十九首。
吾黨五人、
皆是館中有司。 皆
故編一軸、
以取諸不忘。
主人賓客、呉越同舟、 主人
巧思蕪詞、薫蕕共畝。
殊恐、
他人不預此勤者、 他人の
見之笑之、聞之嘲之。 見て笑ひ、聞きて
嗟乎、文人相軽。
待證来哲而已。
『鴻臚贈答詩』の序文
〈元慶七年五月、
私は、朝廷での審議によって、
仮に
そこでこの詩序を作った〉
私は、治部大輔として、
共に
(事前に)古い記録を調べたところ、
(
公用でなければ(鴻臚館の)門内に立ち入らないということであった。
(そこで)私は、忠臣殿とこう話し合った。
「
(もし)後日の宴席で返礼の詩を贈れば、
前もって作っておいたのではないかと疑われるかもしれません。
それぞれが宴会に出席し、
各人が(その場で)愚見を尽くすべきです。
(ですから、)向かい合う時以外は、
決して詩を詠まないことにしましょう。」
打ち合わせを終えてそのように決まった。
詩宴に参列するたび、
帯を解き襟を開き(
作った詩はすべて、草稿を作らなかった。
五言・七言、六韻・四韻と、
声に出さずに詩一篇を綴り終え、文章に修正を加えなかった。
四月二十九日に
「行」の字を韻字に用いたことから始まり、
五月十一日に、
(大使が帝から)御衣を
高官二名(道真と忠臣)・
客人と贈答し、
唱和した詩は、
全部で五十八首である。
さらに江郎中の一篇を加え、
全部で五十九首である。
(これら)我が仲間の五人は、
皆鴻臚館に役職を有している。
そこで(全五十九首を)一巻にまとめ、
採録して(この体験を)忘れないことにした。
(彼らの)優美な発想に(我らの)乱雑な言葉、(彼らの)素晴らしい詩と(我らの)下手な詩が同じ詩巻に揃っている。
(だが詩の完成度よりも)とりわけ心配なのは、
この(接待)役に関与しなかった人間が、
(私達の詩を)見て笑い、聞いて嘲笑することだ。
ああ、(魏の文帝の言葉通り)文人は軽蔑しあうものだ。
(どちらが正しいか)後世の賢人が明らかにするのを待つばかりである。