○壬子。……
遠江介従五位下土師宿禰古人・
散位外従五位下土師宿禰道長等一十五人言す。
「土師の先は天穂日命より出づ。
其の一四世の孫、名を野見宿禰と曰ふ。
昔者、纒向珠城宮に
御宇しし天皇の世、
古風尚存して葬礼節無し。
凶事有る毎に、例多く殉埋す。
時に皇后薨じて梓宮庭に在り。
帝群臣に傾問して曰く、
『後宮の葬礼、これを奈何せん。』と。
群臣対へて曰く、
『一に倭彦王子の故事に遵ひたまへ。』と。
時に臣等が遠祖野見宿禰進み奏して曰く、
『臣が愚意の如くんば、
殉埋の礼は殊に仁政に乖けり。
国を益し人を利するの道に非ず。』と。
仍て土部三百餘人を率ゐ、
自領して埴を取り、
諸物の象を造りて之を進む。
帝覧て甚だ悦びたまひ、以て殉人に代へたまふ。
号して埴輪と曰ふ。所謂立物是れなり。
此れ即ち往帝の仁徳、先臣の遺愛なり。
裕を後昆に垂れ、生民頼れり。
式て祖業を観るに、吉凶相半す。
若し其れ諱辰には凶を掌り、
祭日には吉に預れり。
此の如く供奉し、允に通途に合へり。
今は然らず。専ら凶儀に預る。
祖業を尋ね念ふに、意茲に在らず。
望み請はくは居地の名に因り、
土師を改めて菅原の姓とせんことを。」と。
勅して、請に依りて之を許したまふ。
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