私はただ、この栄光の絶頂から悲惨のどん底に突き落とされて憤死した千百年前の文章博士で儒者詩人である人の作のうち、私が手ぶらで接しただけでもただちにその高さ、深さ、美しさ、痛切さが身にしみて伝わってくるような作をとりあげ、ここに紹介してみたいと思っているのです。(『詩人・菅原道真』43頁)
「朝日新聞」のコラム「折々のうた」には道真の作品も紹介されましたが、その筆者による評論です。「ですます」体で書かれているので、いたって理論的な冒頭部を除けば、比較的読みやすいと思います。
雑誌「へるめす」(岩波書店・廃刊)の連載「うつしの美学」を単行本化したもので、「うつし」という、「換骨奪胎」や「受容と変容」を意味する文学概念の一例として道真を論じようとしたのが、結局対象に食われてしまった感があります。まめに漢詩を口語訳したり背景の解説をつけていますので、道真の性格も分かるでしょう。このサイトの読者なら、憤懣やる方ない彼の姿に茫然となる心配もないですし(笑)。
漢詩には興味がない、という場合は第3章第2節だけ読んでください。大宰府左遷の遠因と後世における道真像の生成という、作者に言わせれば「道草」でしかない話ですが、なかなか面白いです。
文庫化にあたって見出しが随分変更されていますが、本文には加筆していないようです。追加は「文庫版あとがき」2ページのみ。まず図書館で借りてみて、買うなら中古市場でオリジナルを探すのが割安でしょう。
なお、この論を要約したものに、講義用の原稿として書かれた「菅原道真 詩人にして政治家──あるいは日本の詩と漢詩の間に横たわる深淵」「群像」49-10 1994.10(大岡信『日本の詩歌 その骨組みと素肌』講談社 1995/岩波現代文庫 2005 収録)があります。難しいと感じたら、こちらから入ると良いかも知れません。