停習弾琴 琴を弾くを習ふを停む
偏信琴書学者資 偏へに信ず 琴と書とは学者の資と
三餘窓下七条絲 三餘の窓の下 七条の絲
専心不利徒尋譜 心を専らにすれど利あらず 徒らに譜を尋ぬ
用手多迷数問師 手を用ゐれど迷ふこと多く 数師に問ふ
断峡都無秋水韻 断峡 都て秋水の韻なし
寒烏未有夜啼悲 寒烏 夜啼の悲しび有らず
知音皆道空消日 知音皆道ふ 空しく日を消すと
豈若家風便詠詩 豈 家風の詩を詠ずるに便りあるに若かんや
川口久雄氏によれば(大系本年表)、貞観12(870)年26歳の作といいますから、方略試を受験した年です。それでは受験勉強に追われていた時期ですから、あるいはもう少しさかのぼりますか。法律には、
およそ学生は学に在りて楽を作し、および雑戯するを得ざれ。ただし琴を弾き射を習ふは禁ぜず。
(『学令義解』不得作楽条)
とあり、学生の娯楽は琴と弓だけに制限されていました。
琴は7本の糸を張った絃楽器です。道真が「七条(=七本)の絲」と詠うのもそのためです。日本で言う「琴」は13絃ですから、また別の楽器で、「箏」と呼ばれるもの。七絃琴は文人のたしなみの一つとされ、陶潜も気を紛らわすものとして書物とセットに挙げています(『文選』巻45「帰去来」)。
それゆえ道真も勉強の合間に琴を学んだのですが、演奏に集中しても、練習に励んでも、途中で手が止まってしまいます。「断峡」は「三峡流泉」、「寒烏」は「烏夜啼」という琴曲を指しますが、水は途切れ途切れに流れ、親を亡くした烏は絶え絶えに鳴くありさまで、聞いていても悲しさが伝わってきません。この様子を見ていた友人たちが「時間の無駄だからやめなさい」とまで言い出す始末です。「知音」とは親友のことですが、自分の演奏から内面まで汲み取ることのできた親友が死んでから、琴の名手だった伯牙は二度と琴を弾かなかったという故事にもとづく言葉だけに、「(琴の)音を知る」音楽通の意味も掛けています。
自覚していたところに周囲の人間からも指摘され、道真も「これでは『家風』の詩作の役には立たないな」と、習得を諦めてしまいました。詩が菅原氏の家風であることは自他共に認めるところで、文章博士都良香も方略試の問題文で指摘しています(『都氏文集』05)。後に「自分には詩と仏教しかない」と思うようになる道真ですが(『菅家文草』03:196「秋」・『菅家後集』477「楽天が『北窓の三友』の詩を読む」)、詩に関しては、彼の主体的な選択とは別に、最初からそう認識されていたというわけです。
琴の稽古をやめる
琴と書物は学者の利益になるとひたすら信じていた
勉強をするのによい余暇の時間 (書斎の)窓の下で七絃の琴に向かう
しかし集中してもうまくいかず むやみに楽譜を見る
弾いてみても迷うことが多く 何度も(奏法について)先生に聞く
「三峡流泉」の曲も 秋さらさらと流れるような調子にはならず
「烏夜啼」の調べも 烏が(亡き親を憶って)悲しげに鳴くようには響かない
音楽に明るい友人たちは 皆(君が琴を学ぶのは)時間の無駄だと言う
これではどうして我が家の伝統である詩作に役立つのだろう
http://michiza.net/jcp/jcpkb038.shtml