秋
涯分浮沈更問誰
秋来暗倍客居悲 秋よりこのかた
老松窓下風涼処 老松の窓の
疎竹籬頭月落時 疎竹の
不解弾琴兼飲酒
唯堪讃仏且吟詩
夜深山路樵歌罷 夜深くして
殊恨隣鶏報暁遅
仁和2(886)年、讃岐で初めて秋を迎えた道真が詠んだ七言律詩です。
第2句に「秋よりこのかた暗に倍す 客居の悲しみ」とありますが、同じ時期の詩には、「初涼 計会して客愁添ふ」(『菅家文草』03:192「早秋夜詠」)、「秋よりこのかた 客思の
涼風が吹き、群竹に月が沈む情景に、胸を締め付けられた道真は、何とか気を紛らわせようとします。ところが琴も酒も嗜まないために、読経と詩吟で長い秋の夜を過ごすしかありませんでした。
この琴・酒・詩・仏教という組み合わせは、琴詩酒を「北窓の三友(書斎の三つの友)」と呼び、自ら「
そして酒ですが、どうやらあまり好まなかったようです。友人知人と酒席を囲んでいるので全くの下戸だった訳ではありませんが、冬場、出勤前に燗酒を一口飲んで体を温める(01:073「雪中の早衙」)のはまだしも、晩年、不快感を押さえたくて無理矢理酒をあおった時、その量は一杯ならぬ盃半分(『菅家後集』500「雨の夜」)だったと書けば、口にしたのがどの程度か想像はつくでしょう。
さらに、「酒を嗜まない性分だけに(原文「性酒を嗜むこと無く」)憂さを晴らすのもままならず、詩を詠むことに心を寄せるので国司の仕事に専念できない」(『菅家文草』04:274「冬の夜、閑かに思ふ」)、「私は琴も酒もさほど嗜まないから彼等とはお別れして、後に残る詩を死ぬまで友としよう、詩こそが私にとっては死ぬまでの友であり、先祖代々詠み続けてきたのだ」(『菅家後集』477「楽天(白居易)が『北窓の三友』の詩を読む」)といった告白を聞くと、やりきれない気持ちにすらなります。
道真と酒との関わりについては、自身も下戸であった碩学坂本太郎が「菅公と酒」(「史学文学」3-3、1961年4月、『坂本太郎著作集』第9巻に再録)というエッセイで取り上げています。
最も古い道真の伝記「北野天神御伝」が道真の人となりについて、
風度 清爽 にして、音声多く朗 らかなり。性 酒を嗜 まず。投壷 を能 くし、以 て□善を知り、射礼 に徴 せども辞して預からず。
(態度はすがすがしく爽やかで、声は清らかなことが多かった。酒を嗜まない性分だった。投壷を得意とし、□善を知り、正月の射礼に召しても辞退して関わらなかった。)
(注)本文と訓読は、大系本解説および『菅原道真の実像』を参考に、私意を交えています。
と評していながら、道真が酒を飲んでいるのを疑問に思い、歴史書の描写方法を通じて貴族の酒に対する嗜好を示した文章です。さらに、中国の詩人がいかに酒を好んだか、川村晃生氏が実例を挙げて紹介しており(「酒の詩・酒の歌」『講座平安文学論究 第九輯』風間書房、1993年)、酒を好むのは貴族や文人にとってすこぶる当然のことでした。
この「性酒を嗜まず」という言葉は、
後に宇多法皇は名だたる酒豪8名を集めて飲み比べをさせました。泥酔の果てに醜態をさらした様子は、紀長谷雄の「亭子院に飲を賜ふ記」(『紀家集』巻14)に窺うことができますが、浴びるように飲むこともままならぬ身には、憂いが降り積もるばかりです。
讃岐国府(県庁)は坂出市の東部にありました。道真が滝宮天満宮の地に移したという言い伝えもありますが、国府近くにあった開法寺について、道真自身が「
現在の県庁所在地とは違い、農村にいきなり役所があるのが国府の常ですが、讃岐もその例に漏れませんでした。しかも三方を山に囲まれた地形で、日暮れも早く、夜明けも遅い場所にありました。ひっそりと静まり返った官舎でひとり横になると、何かと不安が募るばかりです。
学者・応制詩人としての人生はこのまま閉ざされてしまうのだろうか……。そして我が家の行末は……。
そこで起き出して読経・詩作・読書などで気を紛らわせても、眠れないまま、夜は深々と更けてゆきます。
心配の余り眠れぬ夜を重ねていたことは後の詩からも窺えますし(03:210・03:211・04:246・04:274・04:308・04:309・04:312・04:318)、任期満了が近づいても「功績も過失も計りがたい」(04:291)「功績を挙げていないのが気がかりだ」(04:296)と、同じ言葉を繰り返していました。
秋
身の程の浮き沈みを 改めて誰に尋ねようか
秋になってから知らぬ間に募ってくる 旅住まいの悲しさ
(悲しくなるのは)年老いた松に近い窓辺に涼しい風が吹く場所
まばらな竹の垣根のそばに月が沈む時
(私には)琴を奏でつつ酒を飲むのは分からない
ただ御仏を誉め讃えまた詩を口ずさむことができるだけだ
夜も更けて 山道に(響く)木こりの歌も止んだ
とりわけ恨めしいのは 近隣の鶏が夜明けを告げるのが遅い(なかなか夜が明けない)ことだ