秋夜 秋の夜
床頭展転夜深更
背壁微燈夢不成 壁に
早雁寒〓聞一種 早き
唯無童子読書声
〈童子小男幼字。 〈童子は
近曾夭亡。〉
延喜2(902)年の秋のこと。道真は眠られぬまま何度も寝返りを繰り返していました。暗くしているとは言え、光源を消してはいないので、部屋の様子はおぼろに窺えます。しかし初雁やコオロギの声は枕元まで響くのに、あるべき声が届かない。その答えは最終句と続く自注にあっさりと示されています。すなわち、息子の死。
院政期に成立した歴史物語『大鏡』左大臣時平伝は、道真の左遷と復讐の物語に紙数を多く割いています。その中に「幼い子供たちが親を慕って泣くので、朝廷も許したが、処遇は厳しいもので、父親に同道はさせなかった」という主旨の記述があります。実際は必ずしもそうではなく、少年少女を連れて来ていたことは「少き男女を慰む」でも述べられているところ。
しかし食事や防寒にも事欠くような劣悪な環境に子供を伴えばどうなるか、先は見えています。暑い寒い、お腹が空いたと口々に出る不満をなだめすかしながら、将来のことを考え、付きっきりで漢籍を手ほどきする暮らしも、1年半で呆気なく終わりを告げました。父親はひとり、ぼんやりと生前の様子を思い出しながら、再び寝返りを打ちました。
秋の夜
枕元で 寝返りをうっていると 夜も更けた
壁に向け(て暗くし)たともしびに 夢も結ばない
時節より早い雁も 遅いコオロギも 聞けば声というもの
ただ童子が読書する声だけが(聞こえ)ない
〈童子とは息子の通称である。
(この子は)最近 早死にした。〉