所在地:福岡県太宰府市朱雀
交通:西鉄大牟田線・二日市駅下車
(傾向)経験を積まないと分からないことも多い。
(対策)人目を気にしてはやってられません。
天神から西鉄に乗ると、
駅の改札を出て右折し、そのまま線路に沿って歩き、3つめの踏切を渡ります。道真終焉の地とされる場所で、現在は太宰府天満宮の御旅所となっています。すぐ前を電車が走り、境内で親子連れが遊び、夕方になれば学生が通り抜ける環境は、静寂なのか騒々しいのか判断に迷いますが、再び周囲を無視して感慨に耽ります。
「帰りたくても帰るわけにはいかないのですよ、私は」
京都の方をふり仰ぎ、「謫居の春雪」の詩句を思い出していると、不意にそんな言葉が頭をよぎり、少し切なくなりました。今でこそ時速600kmでスッと日帰りできますが、反逆者のレッテルを貼られた彼には、物理的以上に心理的な距離感が横たわっていたはずです。テレビで大宰府政庁跡の映像を見て、思わず泣いてしまったのは随分前のことですが、やはり同情するぐらいしかできないんですよね。胸が痛みます。道真さん、ここにもあなたを憐れんでいる人間がいますよ。……って、さすがにこれは自意識過剰な言葉ですね。
それにしても、『菅家後集』の漢詩は天気と体調を選びます。雨の日に「雨の夜」なんか読むとしっくりきますね。陰鬱な鑑賞方法ですが、調子の良い日は文字追跡に始終するばかりですから。
(傾向)最近交通網が随分整備されました。
(対策)季節を選んで出かけるのもミソ。
涙腺が少しゆるくなったついでに、今度は「都府楼」と「観音寺」です。そう、『大鏡』でもおなじみの「都府楼はわづかに瓦の色を
榎社境内の右側を走る道路をそのまま北に進むと、国道3号線に出ます。左折してワンブロック歩けば、朱雀大路交差点。右折して御笠川を渡り、直進すれば突き当たりが大宰府政庁跡です。ここに昔あった建物が、道真言うところの「都府楼」。今やだだっ広い公園で、榎社以上に地元民が娯楽に励んでいるのですが、遠慮していると埒が開かないので、お構いなしに林立する石碑を撮影。ですが、石碑よりぜひお見せしたいのがここから見える南方向の風景です。
「太宰府は空が広い」と繰り返し発言して地元の人に変な顔をされたのですが、この眺めを見ると、やはりそう思います。突き抜ける青さを確かめて視線をぐるっと一周させると、遠くから山が取り囲んでいるのが見えます。この盆地構造こそが、飛鳥時代に防衛拠点として選ばれた理由ですが、福岡市に比べて夜が早いし雪も降る。実際、都市に近いにも関わらず、夕方5時に店が閉まって8時にはすっかり静まり返る街です。これはちょっと不便。
そして「この先で道真が暮らしていたんだよね〜」と、改めてしみじみ。物理的には近くても心理的には遠いのです。
政庁跡の前を東西に走る政庁通りを東へ。すると田んぼの向こうに戒壇院の建物が見えますので、近付いて少し見物してから手前の細い道をさらに東進します。南北の通りにぶつかれば左折。その奥が「観音寺」こと観世音寺です。かなり古い歴史を持つ寺院ですが、お目当ては脇にある鐘楼。ちゃっかり石段の上に登ります。
金網の中でぶら下がる鐘は飛鳥時代に作られたもので、現在でも鳴らせるとはお見事ですが、鐘そのものより音が問題ですので、榎社の方を向いて目を閉じます。実際の音はともかく、録音で聞いた経験はあります。その音と反響音を思い出しながら、ひたすら聞こえないはずの音に聴き入ります。静かに空間を渡る音です。
ひとしきり満足した後は、先ほどの道を南へ戻り、政庁通りで右折して少し歩けばバス停に到着します。そしてバスで太宰府駅まで一直線。運賃100円と安いうえ、休日でも1時間に2本ありますので、わざわざ最寄駅まで歩く必要はないでしょう。
西鉄で太宰府に行くのって、近鉄で奈良へ行くような感じがしますね。太宰府は初めてという友人達も、「奈良みたい」「懐かしい」と口を揃えて言っていました。遠路はるばる来た旅という実感がわかないのです。違うところがあるとすれば、史跡が駅から遠いことと、市販のガイドブックに詳しく載っていないので事前の行程確認がしづらいこと。道が曲がりくねっているので、ややもすると簡単に迷ってしまうのです。まずは太宰府駅前の観光案内所で情報収集を試みた方が良いでしょう。