早い話が「お抱え運転手3兄弟に降り掛かる悲劇」です。もう少し詳しく言うと、「娘が起こしたスキャンダルを口実に政治家が地位を追われ、周囲の人間が命を懸けて彼の名誉回復に奔走する物語」ですね。もちろん題名に言うように、
もとは人形浄瑠璃で、「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」と共に三大作品として知られています。作者は竹田出雲・並木千柳・三好松洛・竹田小出雲。江戸中期の延享3(1746)年8月21日、大坂竹本座が初演で、10月には歌舞伎に移植されました。伝説と史実を下敷きにしており、先月
歴史に取材した作品は筋が複雑になるため部分的に上演されるのが普通ですが、現在も主要部分は通し上演で観ることができます。特に「車引」「寺子屋」は独立して演じられますので、観る機会も多いでしょう。
御多分に漏れず登場人物が多いので、主な人間関係を挙げておきます。これだけ押さえておけば何とかなるでしょう。
時は醍醐天皇の治世。「天皇に対面して肖像画を描いてくるように」という皇帝の命により、中国から僧侶がやって来た。天皇は病気だったので、左大臣藤原
僧侶との対面が済み、時平は親王の衣装を奪って持ち帰ろうとするが、菅丞相に阻止される。そして親王は彼に天皇からの伝言を伝える。「自分の子供に筆道の奥義を授けられないのなら、弟子の中からふさわしい人物を選んで伝授するように」
天皇の平癒祈願のため、右大臣道真の代理で左中弁平
そこに桜丸がやって来て、もうじき神事が終わるからと言って二人を追い立てる。いなくなったのを見届けた後、新妻の八重に菅丞相の養女
すると今度は、神前から途中退席した斎世親王を探しに清貫が現れる。車を調べようとする下僕と桜丸が揉み合ううち、中の二人はこっそり逃げ出してしまう。清貫は車中に誰もいないと知り、その場を去る。桜丸は車中に宮の書き置きを見つけて驚愕する。八重が戻って来たので、「自分は姫の実母が住む河内土師の里へ行くから、車を宮の屋敷へ戻しておくように」と言い残し、二人の後を追った。妻は夫の仕事着を借り、悪戦苦闘しながら牛車を引いていく。
菅丞相は筆法伝授を行うべく自宅で七日間の潔斎を行っていたが、ついに最終日を迎えた。屋敷内では希世が連日書道に励んでいる。筆頭弟子として自分が伝授に預るはずと思っての行動だったが、何度作品を出しても一向に取り上げられない。取次役の女房に手を出そうとすれば、御台所が嫡子
そこへ急いで参内するようにとの知らせが届き、丞相は不審がりながらも支度を始める。御台所は自分の打掛に戸浪を隠し、丞相の顔だけでも拝ませようとする。着替えを終えた丞相は、伝授の巻物を源蔵に授け、出かけようとするが、不意に冠が落ちた。不安を感じながら参内する丞相を見送った後、希世は源蔵から巻物を奪おうとするが、逆に罰として机を背中に縛り付けられてしまう。夫婦は御台所に別れの挨拶を済ませ、泣く泣く屋敷を後にした。
入れ違いに梅王丸が駆け込んで来た。丞相が検非違使達に取り囲まれたという。門の外には、役人に前後を挟まれた丞相が徒歩で帰って来た。清貫が言う。「斎世親王と苅屋姫が行方不明になったのは、親王を即位させようとする菅丞相の計画によるもので、流罪先が決まるまで自宅に軟禁する」。御台所はいたたまれず駆け寄るが、夫に天命だと退けられる。これを見た希世は時平方に寝返り、丞相を竹で殴ろうとするが、梅王丸に突き飛ばされる。梅王丸が希世につかみかかろうとすると、丞相に手出しを一切禁じられ、仕方なく引き下がる。丞相は屋敷内に入り、門は完全に封鎖された。
その日の夕暮れ、帰ろうとする希世達を、築地の陰に隠れていた源蔵が襲う。勘当の解けぬ者が狼藉を働いても、丞相は主人でないから咎められることはないというのである。連中が逃げ出した後、門の内側から戸を叩く音がする。合図を送ったのは梅王丸だった。「このままでは御家断絶だから、若君は自分達が預る」という源蔵の言葉を受け、梅王丸は築地ごしに菅秀才を引き渡そうとする。源蔵は妻を抱きかかえ、若君を受け取る。監視役に見つかるが、夫婦は立ち回りの末どうにか切り抜け、逃げて行った。
斎世親王と苅屋姫に追い付いた桜丸は、飴売りに姿を変え、二人を飴の荷箱の底に隠し土師の里へ淀川べりを下って行った。客の立ち話から丞相が筑紫へ流され、摂津安井で風待ちをしていると知り、一行は安井の浜へと向かう。
安井では日和待ちが続いていた。護送役の
そこに桜丸一行が馳せ参じ、役人との直談判を申し出る。輝国から自分達が原因だと聞かされた姫と親王は、丞相と対面させるよう迫るが、輝国は「会わせればさらに罪が重くなる」と拒絶し、親王に姫と別れて宮中へ戻り、丞相の無実を訴えるよう求める。親王は姫を見捨てることが出来ず泣く。姫も「自分を処罰して父を許して欲しい」と泣く。恋の取り持ちをした責任を感じ桜丸も泣くが、「丞相のためにもやはり姫と絶縁するべきだ」と進言する。親王は泣く泣く苅屋姫に別れを告げ、都へ戻ることにした。
すると今度は丞相の伯母の娘に当たる立田が来て、「丞相を老母に会わせて欲しい」と輝国に訴える。当然輝国は快諾した。その合間に姫は実姉にすがりつくが、突き放して養女としての立場を弁えない行動を叱る。輝国は親王を法皇の御所へ連れて行くよう桜丸に指示し、丞相とともに土師の里へ向かった。
菅丞相が伯母
立田の夫
太郎の指示で庭先に輿が運び込まれた。丞相は悠々と束帯姿で輿に乗り、屋敷を後にした。覚寿は笑顔を作って見送ったが、立田が姿を見せないのを不審に思い、家中を探させた。池の傍に血痕が残っており、奴が池に飛び込むと、立田の遺体が見つかった。遺体を前に号泣する母と妹。その横で「犯人を切り殺すのが一番の追善供養」と娘婿はうそぶき、奴を呼んだ。「提灯の明かりで血痕がたどれるはずがない、お前が殺して池に沈めたのだろう」と主張し、娘の敵が知れたと喜ぶ覚寿を横に、刀を手にして奴の前に立つ。しかし覚寿は自ら敵を討つと言い出し、太郎の刀を借り受ける。しかし振り返りざま刺したのは太郎の腹だった。もがき苦しむ太郎に、覚寿が立田殺害の証拠を突き付ける。立田がくわえていた布切れは、まさに太郎の着物の裾だった。
しばらくして輝国が丞相を迎えに来た。覚寿は驚き、輝国の言葉を遮って「随分前にお渡しした」と話す。しかし輝国は「宿の鶏が鳴くのを待って迎えに来た、見えすいた嘘はつくな」と言って埒が開かない。先ほどの迎えは偽者だと気付き、輝国が駆け出そうとすると、直衣を纏った丞相が姿を見せた。絶句する覚寿。にんがり笑う輝国。ともかく出発の準備を進めていると、先程の護送役が戻って来たと言う。輝国は丞相と共に障子の奥に隠れて様子を窺うことにした。
護送役が「丞相は丞相でも、木像はいらぬ、取り替えろ」と文句を言ったので、覚寿はとっさに状況を理解した。これは木像の奇瑞だと。しかしそ知らぬ顔で木像を見せるよう求め、輿を開けさせた。だが出てきたのはまさしく丞相。微笑みながら立つ丞相を前に護送役は仰天したが、覚寿が身柄を受け取ろうとするのを拒み、再び輿に乗せた。困惑した彼等が家捜しを始めると、そこには断末魔の太郎。それを知った父親は、息子のもとに慌てて駆け寄り、「立田殺しの共犯だろう」と問い詰める覚寿を殺そうとする。輝国が割って入り、兵衛を押さえ付けた。輿の担ぎ手達も逃げ出した。
覚寿が輿に近付いて扉を開けると、中に座っていたのは木像。部屋の障子を開ければ丞相。あぜんとするばかりの覚寿と輝国。「迎えが遅いのでうたた寝をしていた時に、立田殺しの始終を目撃した」と丞相は言い、「立ち寄らなければ……」と嘆く。覚寿も無事を喜びながら涙を浮かべ、太郎に刺した刀を引き抜き、同じ刀で白髪を切り落とし、出家する。丞相と二人、涙声で読経する様子を見て、輝国は兵衛の首をはねた。
覚寿は木像を輿から運び出し、丞相の近くに置き直した。「木像が人間の身替わりになった例はあるのか」と尋ねると、「
改めて輝国が出発を促したので、覚寿は侍女に苅屋姫の小袖を掛けた
もはや籠の鳥となってしまった身には、夜が明けても心は暗い。闇路を照らすのは衆生を救おうとする仏の誓願。ゆえに道明らけき寺と呼ばれるようになった。夜明けの道を歩く丞相は、姫の泣き声を聞いて一度だけ振り返ったが、それが今生の別れであった。
梅王丸は深編笠をかぶって旅に出た。すると同じ格好をした桜丸に出会う。「宮謀反の讒言も菅丞相の流罪も自分の責任だが、父の古稀の祝いが済むまでは死ぬに死ねぬ」と苦悩を漏らす。行方不明の御台所を探すべきか、丞相を追って筑紫へ向かうべきかと迷いながら、父の事も気がかりで態度を決め切れずにいた梅王丸は同情し、ともに涙を流す。
そこに吉田神社へ向かう左大臣の行列がやって来た。兄弟は逆襲を心に決め、行幸のように随身達を従えた牛車の前に立ちはだかる。行列に加わっていた松王丸は無礼に激怒するが、二人は侍達を投げ飛ばし、車を押し戻した。松王丸も後ろから押し返す。押した引いたの繰り返しに耐えかねた時平が、御簾を蹴破って姿を見せた。車の押し合いが続くなか、天皇の姿をした時平がひと踏みすると、車は粉々に砕けた。梅王丸と桜丸は、折れた
松王丸は得意気に兄弟を成敗しようとするが、「天下を治める者が血を流すとは参拝の穢れ、松王丸に免じて命だけは助けてやる」と、時平に止められ、「命拾いした、ありがたいかたじないと御辞儀しろ」という捨てぜりふを吐く。父親の七十の賀が済んでから決着をつけることにして、遺恨を残したまま三人は別れた。
三つ子の父、四郎九郎は摂津佐太にある菅丞相の下屋敷の管理を任されていた。そこに近所の百姓が内祝いの礼を言いに来る。「生まれた月日時刻を違えず古稀を祝い、名も
春(梅王丸の妻)と千代(松王丸の妻)が野草を積みながらやって来た。息子を待ちくたびれて横になる舅をよそに、嫁三人は祝いの膳を作り始めるが、三兄弟が時平の牛車の前で大喧嘩をしたという話をすると、嫁達はあきれた様子であった。「三つ子なのに顔も心も似ておらぬ」と歎くうち、生まれた時刻になり、息子たちの名前の由来になった庭の梅・松・桜の木を息子に見立てて祝宴を開く。嫁からの贈り物は、八重が三方かわらけ、春が梅・松・桜を描いた扇三本、千代が手作りの頭巾。
それでも息子は来ないので、白大夫は三本の扇と灯明料を持ち、八重を連れて氏神へ参ることにした。しばらくしてようやく松王丸が到着した。「仕事がある以上遅刻は仕方ないだろう」と不機嫌な様子。梅王丸も駆け付けるが、二人は顔を合わせようとしない。皮肉を言い合ううちに、妻の制止を振り切って取っ組み合いの喧嘩を始め、桜の木を折ってしまう。
白大夫が帰って来たので、二人は平静を装い、挨拶をする。父親は庭のことには触れようともしない。言い合わせたように二人は書状を差し出す。夫が来ない上、事情を知らない八重は気が気でない。梅王丸は暇乞いを申し出て「御台様は消息不明だが、若君は元気らしいと噂に聞いた」と答えたので、白大夫は「御家族の無事を確認もせずに旅に出たいとは臆病者、丞相の御世話なら自分でもできる!」と、手紙を投げ返した。勘当を求める松王丸に対しては即座に了承し、箒を手にさっそく追い出そうとする。松王丸はためらう女房の手を引き出て行った。すると今度は梅王丸に「すぐ御台所と若君を探しに行け!」と命じる。梅王丸は妻を連れて外に出、白大夫は奥へ入った。
一人残された八重は門口で夫を待つ。しかし桜丸は奥の納戸から現れた。八重が驚きを隠せないでいると、白大夫が出てきて桜丸の前に脇差を載せた三方を置き、切腹を促した。泣きじゃくる八重に、桜丸は「今朝、宮や丞相への責任を取って切腹したいと願い出た」と言う。八重は「仲立ちをしたことが原因なら、私も一緒に死ぬ!」と泣きわめき、舅にも取りなしを願うが、白大夫は「せめて祝宴が済むまではと納戸に隠し、氏神様の前で扇を籤代わりに引いたが、桜は出なかった。引き直してもだめだった。神の助けもないと思い、落胆して帰ってくれば桜が折れている。これも宿業だ」と告げるばかりだった。介錯代わりに白大夫が打ち鳴らす鐘と念仏の声を背に、桜丸は脇差を腹に突き刺し右に引き、のどぶえを切って果てた。八重も同じ脇差で後を追おうとするが、梅王丸と春が木陰から飛び出し、脇差を奪い取った。桜丸が来ないこと、丞相秘蔵の木が折れた理由を父親が聞こうともしなかったことを不審に思い、裏口から密かに戻っていたのだった。後を梅王丸夫婦に任せ、白大夫は丞相のもとへ旅立った。
黒牛に乗り、白大夫の歌や講釈を聞きながら、菅丞相は安楽寺へ向かった。帰京を願うのではなく、都のことを思い出して「東風吹かば...」と寝床で書き付けたところ、夢の中で「安楽寺に参詣せよ」と神童に告げられたからだという。すると向こうから安楽寺の住職がやって来た。「丞相御自愛の梅を本人に見せよ」との夢告どおり、観音堂の左に梅の木が生えた、という。寺に入ると確かに梅が咲いている。佐太の下屋敷の梅と寸分違わぬ姿に白大夫は興奮する。
酒も出て和気あいあいとする場に、旅行者が二人、切り結びながら乱入してきた。白大夫がよく見ると、一人は梅王丸。梅王丸は相手を組み伏せ、丞相に事の次第を報告する。「若君は武部源蔵に預け、御台様は妻たちが世話している。御台所の意を受けて筑紫行きの船に乗ると、時平の家来鷲塚平馬が乗っていた。素知らぬ顔で話し掛ければ、丞相を暗殺しに来たと口を滑らせた」と言い、平馬を縛り上げて柱に繋ぐ。
丞相は、有情の人間も無情の木も、梅が自分を慕って来たことを知り、上機嫌で「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」と詠む。白大夫親子にとって、死んだ桜丸はともかく、時平に仕える松王丸は憎い存在だが、目下の敵は眼前の平馬。刀を手に自供を迫ると、平馬は命欲しさに「時平が謀反を企て、邪魔になる丞相を暗殺するよう命じた」と白状する。それを聞いた丞相は激怒し、「帰京を許されぬ身ならば、霊魂となって帰り、天皇を守らん」と天に誓いを立てる。証拠に飛梅の枝で平馬の首を刎ね、「一刻も早く都に上り、謀反の事を奏上せよ」「自分は山頂で荒行を行い、雷神の首領となって謀反人を滅ぼさん」と言い残し、暴風と共に飛び去ろうとする。両袖にすがりつく白大夫親子を左右にはね飛ばし、梅花を口に含んで吐き出すと、白い花弁は炎と変じた。生きながら雷神となった丞相は、そのまま都へ飛び去った。
北嵯峨のとある家。春と八重に守られ、御台所が隠れ住んでいた。山伏が法螺貝を吹きながら入って来たので、春が追い出した。中に戻って八重と話をしていると、御台所が目を覚まし、「大宰府安楽寺に秘蔵の梅が飛び、時平の謀反の話を聞いて夫が雷神となろうとする夢を見た」と言う。不安がる御台所に「それは帰京が叶う逆夢だ」と取りなす。話は山伏のことに及び、「あれは御台所を探す敵方の人間かも知れない」と、丞相の師、法性坊(尊意)へ御台所を預けることに決め、近辺へ来ている法性坊の元へ春が向かう。
そこに時平の家来が急襲をかける。八重は必死に防ぐが、多勢に無勢、あえなく死んでしまう。御台所は時平方に連れ去られそうになるが、先ほどの山伏が現れ、御台所を抱えて姿を消した。
武部源蔵夫妻は、菅秀才とともに芹生の里で寺子屋を開き暮らしていた。師匠の留守を良いことに子供達が騒いでいると、戸浪が出てきて注意する。そこに菅秀才と同じ年頃の少年を連れた女性が下男とともに現れる。少年の名は小太郎。源蔵の子と紹介された菅秀才の顔を見て、女性は喜ぶ。夫を呼びに出ようとする戸浪を押しとどめ、「先に隣村で小用を済ませてくる」と言って席を立った。「僕も行きたい」とすがる小太郎を、なだめすかし振り返りながら去って行く。
源蔵が青ざめた顔で帰ってきた。子供達を見回して「いずれを見ても山家育ち」とこぼす。戸浪はなだめながら小太郎と引き合わせたが、夫はうつむいたまま。しかし小太郎の声を聞いた途端、顔を上げて小太郎を見つめ、機嫌を直した。母親が席を外していると聞き、さらに機嫌を良くした。
子供達を奥の部屋に入れ、戸浪は先ほどからの奇妙な態度について尋ねた。源蔵は「宴会を口実に庄屋へ呼び出されたが、春藤玄蕃が検死役の松王丸以下大勢の役人を連れて来ていた。『実子として菅秀才を匿っているという訴えがあった、すぐに首を打って差し出せ』と言われ、仕方なく承諾したが、どの子も身代わりは無理だ。しかし新入りのあの子なら大丈夫、もしうまく騙せたら河内へ行こう」と言う。戸浪に「松王丸は若君の顔をよく知っているが」と聞かれ、「生きている時の顔と死に顔は変わる、見破られれば松王丸一味を切り捨てる、失敗すれば若君諸共死ぬ」と答え、逆に「母親が戻って来たらどうするかが問題だ」と問い返すと、うまくごまかしてみせると妻は言う。しかし夫は露見を恐れ、「場合によっては母親も切る」と言う。夫婦は顔を見合わせ、「報いはこちが火の車、おっつけ回ってきましょう」「せまじきものは宮仕え」と涙に暮れるばかりだった。
とうとう春藤玄蕃一行が来た。松王丸は病身を押して駕籠に乗っている。物々しい様子に村人が自分の子供を引き取りに来たので玄蕃は求められるまま子供を帰そうとするが、松王丸は刀を杖代わりに駕籠から降り、「これが最後の御奉公だから」と、一人づつ顔を確認すると言い出す。家族の声に応じ、子供が一人二人と出てくるのを確かめるが、菅秀才とは似ても似つかぬ顔ばかり。夫婦は覚悟を決め、玄蕃の催促にも臆せず、松王丸に「裏も囲ませたからもう逃げられぬ、生死で顔は変わるなどと身代わりを立てても無駄だ」と言われれば「紛れもない菅秀才の首、すぐに見せよう」と反論し、源蔵は奥の間に入る。戸浪も素知らぬ顔で座っている。しかし松王丸は出て行った子供の数より机が一台多いことを見抜き、戸浪を問い詰める。戸浪は「新入りの子が……」と言いかけるが、松王丸に「馬鹿な!」と返され、慌てて「菅秀才の物」と言い直す。
奥からバッタリと首を打つ音。皆が息を飲むなか、源蔵は台に首桶を載せて持って来た。「松王丸、じっくり見分せよ!」と言いながらも、密かに刀に手を掛けていた。松王丸も夫婦を役人に囲ませる。戸浪は必死で神仏に祈る。松王丸が蓋を開けた。そこにあるのは小太郎の首。しかし松王丸が「菅秀才に相違ない」と言ったので、玄蕃は帰り支度を始める。松王丸も病気療養を理由に暇乞いを済ませ、駕籠で帰って行った。
誰もいなくなった家の戸を閉め、夫婦は大きく息を吐いた。しかし喜んだのも束の間、母親が戻って来た。慌てふためく戸浪をよそに、源蔵は腹を決めた様子で自ら戸を開けた。奥の部屋に上がるよう母親に勧め、上がろうとする女の背中を後ろから切り付けた。母親もとっさに身をかわし、なおも振り下ろされる刀を我が子の道具箱で受け止めた。箱は二つに割れ、中から出てきたのは
松王丸は気を取り直し、家来に命じて駕籠を運ばせる。乗っていたのは御台所。松王丸は「時平の家来に捕まえられそうになったところを、山伏姿で助けた」と説明する。戸浪が小太郎の遺体を抱いて出てきたので、駕籠に乗せて野辺の送りをしようとすると、夫婦はすでに下に白装束を着ていた。「親が子の野辺送りをする訳にはいくまい、我々が」と言う源蔵に、松王丸は「わが子ではない、菅秀才だ」と返し、送り火を頼んで鳥辺野へ向かった。
落雷続きの宮中で、法性坊が祈祷を行っている所に、斎世親王が菅秀才と苅屋姫を連れて参内し、菅秀才の跡目相続の件について天皇への仲介を依頼する。これを知った時平は清貫・希世と共に菅秀才を取り押さえ、残り二人も捕まえようとするが、落雷に行手を阻まれ、希世も清貫も震死してしまう。時平もさすがに怖じ気づき、護摩壇に駆け上ると、両耳から蛇が抜け出し、桜丸夫婦の幽霊に姿を変える。法性坊は調伏しようとするが、「皇位を奪おうとしている人間を助ける気か!」と幽霊に一喝されて立ち去る。そのまま時平は庭に投げ出され、菅秀才と苅屋姫の手に掛かり果てた。
かくして宣旨が下り、菅秀才が家を継ぎ、菅丞相は正一位を贈られ、右近の馬場の地に天満大自在天神として祭られることとなった。