言子 子を言ふ
男愚女醜稟天姿 男は
依礼冠笄共失時 礼に
寒樹花開紅艶少
暗渓鳥乳羽毛遅
家無擔石応由我 家に
業有文章欲附誰 業に文章有り 誰にか
此事雖同窮老歎 この事
適言其子客情悲
仁和4(888)年の夏、讃岐にあって都に残る子供達を案じた詩です。道真44歳。親馬鹿になれず我が子の欠点ばかりが気にかかる父親の愚痴が綴られていますが、それだけに仕事一辺倒で家庭を顧みないような男ではなかったことが窺えます。
学問は血筋と早期教育、すなわち環境が揃えば必ず身につくというものではなく、どうしても本人の能力に依存する部分があります。道真の子供は男女合わせて20人を超えますが(詳しくは『菅家後集』488「家書を読む」を参照)、それでも
加えてこの頃は、長男の
道真の讃岐赴任は私塾(廊下)の解体の危機を招きましたが、家庭内においても、成人式の機会を逃すどころか、後継者を育成する機会まで失うという深刻な問題に直面していました。道真が菅原氏の命運を一人で背負っていた弱味が、こんなところにも陰を落としていたのです。
子供の話をする
息子はぐずで娘は不細工 (これは)天から授かった(生まれつきの)姿
礼節に則《のっと》った成人の儀式も (父親が遠方にいるために)みな時機を逃してしまった
冬枯れた木に花が咲いても 華やかさに欠け(娘は年頃になっても色香が乏しく)
暗い谷間に鳥が育っても 羽が生えるのは遅い(息子は成長してもなかなか頭角を現さない)
家庭にはわずかの貯蓄もなく 私に頼っている
家業に文章がある (しかし)どの子に託せば良いのか
これでは老いの繰り言のようだが
不意に 子供の話をすると 旅人の心は悲しくなる