偶作 偶作
病追衰老到 病は衰老を追ひて到り
愁趁謫居来 愁ひは謫居を趁ひて来る
此賊逃無処 此の賊 逃るるに処 無し
観音念一廻 観音 念ずること一廻
延喜2(902)年冬の作です。道真58歳。
現行の『菅家後集』の原型となった『西府新詩』には、あともう1首、「謫居の春雪」が収録されていますが、おそらく今回の詩が実質的に最後の作品だろうと思われます。と言いますのも、「謫居の春雪」は先立って詠んだものを編纂時に末尾に配置したものではないかという指摘が焼山廣志氏から出されており(「『菅家後集』編纂事情の一考察──巻尾の詩「謫居春雪」の解釈を通して──」和漢比較文学会編『菅原道真論集』勉誠出版、2003年)、その動機に有為な人材を辺境に捨て去る中央への批判を挙げる点は別としても、『後集』を通読する限り、494「歳日の感懐」以降からなる延喜2年の作品群と「謫居の春雪」の間に断絶を認めることは疑いようがありません。
あまりに批判的な内容を含むため、詠んだ途端に他見を憚って燈火にくべたものが延喜元年の作品にはあったようで(484「意を叙ぶ、一百韻」)、『西府新詩』に大宰府時代の全作品を収録しているわけでは決してありません。しかしそのようにして淡い期待と深い絶望の入り混じった感情を吐き出した後の残滓がいまだ詩の体をなしているのは驚くべきことであり、菅原道真という人物の存立基盤が詩にあったことを改めて認識させられます。
さて、この詩は取り立てて技巧を施していませんので、一読されれば意味を汲むのはたやすいかと思います。
「衰」「老」の後に来るのは「病」、そして「死」。それなのに愁いまで遷客のもとを訪れる。この状況からは逃れようがないから、せめて観音経を一度だけ唱えてみる。
万物を見通す力を持った観世音菩薩が人々をあらゆる厄災から救い出すことは、観音経(法華経普門品)において「念彼観音力(彼の観音力を念ずれば)」のリフレインにより詳しく語られるところ。幼い頃病気で死に瀕した時、母親がすがったのが観世音菩薩だったこともあり、道真は生涯を通じて観音信仰に篤い人でした(11:650「吉祥院法華会願文」を参照)。しかし事態は菩薩とて救いようのないところまで来ていました。翌延喜3年2月25日、従二位大宰権帥のまま現地にて薨去。享年59歳。
ふと詩興が湧いて
病気は 老衰の後からやって来て
憂愁は 左遷先まで追いかけてくる
この(後に続く死という)賊から 逃れるすべはない
(生老病死の苦しみをも消すという)観音経を 唱えること一度
http://michiza.net/jcp/jcpkb513.shtml