有所思 思ふ所有り
〈元慶六年夏末、
有匿詩誹藤納言。 匿詩有りて
納言見詩意之不凡 納言詩意の凡ならざるを見て
疑当時之博士。 当時の博士かと疑ふ。
余甚慙之。 余
命矣、天也。〉 命なるかな、天なるかな。〉
君子何悪処嫌疑 君子 何ぞ嫌疑に
須悪嫌疑渉不欺 嫌疑の
世多小人少君子 世に小人多く 君子少なし
宜哉天下有所思
一人来告我不信 一人来て告ぐれども
二人来告我猶辞 二人来て告ぐれども 我
三人已至我心動 三人
況乎四五人告之
雖云内顧而不病 内に
不知我者謂我痴 我を知らざる者は我を
何人口上将銷骨
何処路隅欲僵屍 何れの
悠悠万事甚狂急 悠々たる万事
蕩蕩一生長嶮〓
焦原此時谷如浅
孟門今日山更夷
狂暴之人難指我 狂暴の人と 我を
文章之士定為誰 文章の士と 定めて誰を
三寸舌端駟不及 三寸の舌端
不患顔疵患名疵 顔の
功名未立年未老 功名立たず 年老いず
毎願名高年又耆
況名不潔徒憂死 況んや 名
取證天神与地祇
明神若不愆玄鑑
無事何久被虚詞 事無くして 何ぞ久しく虚詞を
霊祇若不失陰罰 霊祇 若し陰罰を失はずんば
有罪自然為禍基 罪有りて
赤心方寸惟牲幣 赤心の方寸
固請神祇応我祈
斯言雖細猶堪恃
更愧或人独自嗤 更に
内無兄弟可相語 内に
外有故人意相知 外に故人の
雖因詩与居疑罪 詩に
言者何為不用詩 言ふ
元慶6(882)年夏、「藤納言」を批判する詩を作ったという疑いを掛けられ、自分の無実を訴えた七言十六韻の詩です。形式については、二四不同二六対を守らない箇所が16箇所あり、谷口孝介氏の分類(「『菅家文草』の詩体と脚韻」「同志社国文学」33、1990年3月)に従い、
「藤納言」に該当する人物として、正月に大納言に任じられた藤原
「噂を聞いた人間が一人二人来ても平気だったのが、三人目で胸騒ぎを覚える」というのは、『戦国策』にみえる
「有所思」という詩題は、民謡に起源を持つ韻文である
道真の激越な口調に引きずられて筆が滑りそうになるのを、理性でとどめながら口語訳を行いましたが、原文を読むだけで、彼のいら立ちと歯ぎしりが露骨に伝わってきます。そして「詩で疑われたが、言いたいことがあるから詩で反論するのだ!」という毅然とした意志表明に、道真が頻用した『詩経』大序の有名な言葉「詩は志の
思い悩むことがある
〈元慶六年の夏の終わり、
大納言藤原氏を中傷する匿名の詩が世に出た。
大納言は詩の内容が平凡でないのを見て
(作者は)今の(文章)博士ではないかと疑った。
私は(疑いを掛けられて)恥ずかしく思う。
(これも)運命なのか、天の定めなのか。〉
君子はどうして疑いを掛けられることを憎むだろう
時間が経つにつれ疑惑が本当になることを憎むのだ
世間にはつまらない人間が多く 立派な人間は少ない
もっともなことだ 世の中に思い悩むことがあるというのは
一人が来て(こんな噂があると)告げても 私は信用しなかった
二人目が来て(同じ噂を)口にしても 私は相変わらず相手にしなかった
(だが)三人目が来てしまうと 私も(さすがに)胸騒ぎがする
まして四人五人と言い出せば(不安で仕方がない)
内省して後ろめたいところなどないと言ったところで
私を理解しない者は私を愚か者だと言うだろう
誰なのか (偽りの)言葉で(私の)骨を溶かそうとするのは
どこなのか 道端に屍を倒そうとするのは(どこに私をのたれ死にさせようというのだ)
遥々と広がる(はずの)物事は ひどく慌ただしく
広々と続く(はずの)一生は ずっと険しいだろう
今は(深いことで有名な)焦原の谷さえ浅いようで
今日は(険しいことで知られる)孟門の山さえ更に平らなようだ(それほど生きにくい世の中だ)
凶暴な人物だと どうして私を名指しできよう
(あの)文章を書いた人物だと どうして誰かを決めつけられよう
三寸の舌先(で口にした噂)には 四頭立ての馬車でも追いつかない
顔につけられた傷を憂えるのではない 名前につけられた傷を憂えるのだ
(私は)功績も挙げていないし 老いてもいない
(だが)名声を手にしたい長生きしたいといつも願っている
どうして汚名を帯びたまま(無実を証明せず)むだに憂いを抱えて死ねるだろうか
霊験あらたかなる神よ もし(真実を映す)深遠な鏡を失っていないのなら
(私は)心当たりもなく どうしていつまでも偽りの言葉を受けるだろうか(いつか無実が証明されるはずだ)
神妙なる神よ もし人知れず罰することを失っていないのなら
罪はおのずと災いの元となるだろう(いずれ犯人は天罰を受けるはずだ)
(我が)小さな真心 これこそが神への捧げ物
ひたすら願うのは 神々が私の祈りに応じて(真実を明らかにして)くれること
この(祈りの)言葉は些細なものだが それでも当てにはなりそうだ
そして一人嘲笑する本当の作者を恥じ入らせたい
(家の)中には語り合える兄弟はいないけれども
(家の)外には心の内を知る親友がいる
詩が原因なのだろう 疑いをかけられたのは
しかし(志を)言おうとする者はどうして詩を用いないだろう