春尽 春尽く
風月能傷旅客心 風月は
就中春尽涙難禁
去年馬上行相送 去年は馬上にて行くゆく
今日雨降臥独吟 今日は雨降りて
花鳥従迎朱景老 花鳥は朱景を迎ふるに従ひて老い
鬢毛何被白霜侵
無人得意倶言咲 人の
恨殺茫茫一水深
仁和3(887)年3月29日、讃岐で3月末を迎えた感慨を述べた詩です。
赴任の旅の途中で春を見送った昨年の03:188「中途にて春を送る」に続き「三月尽」をテーマにした詩で、今年は赴任先の官舎でひとり、雨に霞む庭を眺めながら春の最後の日を過ごしています。
最初に「自然は旅人を悲しませるもの」と言うのは、後に04:243「駅楼の壁に題す」で人々が春の景色に心を痛めないと述べることから考えても、一般論ではなさそうです。つまり、道真の言う「旅客」は自分自身のことなのです。
道真が自らを「客」「旅人」「旅客」と定義し、官舎を「客舎」「旅館」「客館」「旅亭」と呼び、赴任生活を「客居」「客中」と言い、湧き上がる感情を「客意」「客情」「客愁」「客恨」と名付けたように、讃岐守時代の詩に、「讃岐は自分のあるべき場所ではなく、あくまでもかりそめの宿である」という意識が顕著に現れることは、瀧浪貞子氏が示唆された通りで(『日本の歴史5 平安建都』集英社、1991年の263頁)、それゆえ「不本意な転勤で仕事に身が入らなかったのでは?」という印象を受けかねません。しかしそれは事実の一側面に過ぎず、03:200〜03:209「寒早十首」・03:219「行春詞」・03:221「路に白頭翁に遇ふ」などの詩に述べるように、国内を巡視し、困窮する庶民に思いを馳せ、横行する汚職に憤慨し、
春から夏へ季節が移ってゆくにつれ、世界はますます色鮮やかに染まるはずですが、花や鳥はもとより自分までもが老いてゆく、と感傷的になるのは、ことさらに春を重視し、春の終わりに老いを重ねる「三月尽」ならではの発想です。道真は
最後の2句で、讃岐には腹を割って話せる知己がおらず、都との間には瀬戸内海が広々と広がっていると言います。確かに生真面目すぎて部下が寄って来ない(04:292「日の長きに苦しむ」)と自省する道真ですが、地元の長老や部下を集めて酒宴を開くことはもとより、一緒に散策に出かけたり、部下と詩文のやり取りをしているので、必ずしも人付き合いが悪かったわけではありません。
『菅家文草』には「藤司馬」(04:286・04:307)「藤十六司馬」(04:277)「藤六司馬」(04:317)と、仁和4(888)年〜寛平元(889)年に作られた詩に、同一人物らしき名前が登場します。「十六」と「六」では別人ですが、転写時の誤写や文字脱落の可能性を否定できません。この「藤司馬」なる人物、文字通りに解釈すれば
春が終わる
自然は旅人(である私)の心を悲しませるものだが
特に春の終わりは(悲しくて)涙がこらえ切れない
去年は馬上で(赴任途中の)道すがら(春を)見送った
今年は雨の降る中(赴任先の官舎で)横になって一人詩を口ずさむ
(周囲の)花や鳥は夏の陽射しを迎えるにつれて年老いてゆき
(自分の)鬢毛はなぜ白い霜に侵され(て白髪交じりにな)るのだろうか
(この地には)胸の内を理解して談笑する相手もいない
恨めしいのは(都との間に)果てしない海が深々と広がっていることだ