元年立春〈十二月十九日〉 元年の立春〈十二月十九日〉
天愍長寒万物凋 天は
晩冬催立早春朝 晩冬 立つことを
浅深何水氷猶結
高卑無山雪不消
根抜樹応花思断 根 抜くるれば 樹
骨傷魚豈浪情揺 骨
偏憑延喜開元暦
東北廻頭拝斗杓 東北に
現在の太陽暦では2月頃に立春が来ますが、旧暦(太陰太陽暦)では2回に1回程度は12月中に立春が来ます。これを「年内立春」と言いますが、『古今和歌集』の巻頭を飾る歌もこの主題を扱っています。
「年内に訪れた春は、去年なのか今年なのか」と、言葉尻をもてあそぶような内容だったために、かの正岡子規に酷評されてはいますが、この歌は『古今和歌集』らしい歌だと思います。と言いますのも、ダジャレや機知を駆使した歌が他にも見受けられるからで、『詩経』大序を下敷きに、序文で高邁な理念を語っている割には案外遊んでいるな、という印象を受けました。
そしてその「遊んでいる」和歌の数々が詠まれた時代は、まさに道真の生きた時代と重なります。漢詩文の内容を踏まえた和歌、和歌の素材を取り込んだ漢詩なども作られました。漢詩にはしかめ面をした男性が作るものというイメージがありますが、実際に道真の詩を読んでみると、言葉遊びやジョークもありますので、食わず嫌いで通り過ぎるのは少し惜しい気がします。例えばこんな感じ。
立於庭上頭為鶴 立ちて庭上に於いては頭 鶴となる
居在炉辺手不亀居 りて炉辺に在 らば 手亀 らず
(庭に立つと 降る雪で頭が鶴のように白くなる
部屋で火鉢にあたっていると 外が寒くても手はひび割れない)
(注)この「鶴」「亀」の対比は意味ではなく、あくまで文字そのものだけが対になっているものです。
(『菅家文草』04:276「客居して雪に対ふ」)
州民縦訴監臨盗州民 縦 ひ監臨 の盗 を訴ふるとも
此地風流負戴還此 の地の風流負戴 して還 らん
(たとえ讃岐の民衆に「監督官が盗んだ」と訴えられるとしても
この南山の風景は背負って帰りたいものだ)
(『菅家文草』03:232「衙後、諸僚友に勧めて共に南山に遊ぶ」)
さて、延喜元(901)年も年の改まらぬ内に春が来ました。暦の上では春なのに、氷が結び雪が残る様子はいかにも冬の光景です。そして後に続く「花を咲かせようともしない根の抜けた木」「泳ぎ回ろうとしない骨の傷ついた魚」が道真の自己投影であることは疑うべくもありません。雪や氷が溶けたところで、この木と魚は春を楽しもうとはしないでしょう。
「延喜」は古代の帝王の一人であった
(
天は気の毒がる 寒さが続き あらゆる物がしおれることを
冬の暮れが 訪れるようせき立てる 早春の朝
(暦の上では春だが)浅いところ深いところ 氷がまだ張っているのはどこか
高いところ低いところ 山はないのに 雪は溶けない
根が抜けているので きっと木は花を咲かそうと思わないだろう
骨が傷ついているので どうして魚は波を立てたいと心動かすのか
ひたすら期待する 延喜と年号が改められたことに
東北へ頭を向け 北斗七星の柄を拝む