所在地:神奈川県鎌倉市二階堂
交通:京急バス・天神前バス停下車
(傾向)期待の大きさが仇になったか。
(対策)とりあえず現地主義に徹する。
鎌倉駅東口バスターミナルの5番乗り場から
しかしそこには「
どこで間違えたのか地図を見ても判然としないので、親王が幽閉されていたという土牢や宝物殿の見学もせず、天神前まで戻ってみると、辻に小さく案内板が出ていました。天神前から左側に行くべきところ、そのままお宮通りを直進していたようです。
松の木のトンネルをくぐり、急勾配の階段を登ります。門を抜ければいよいよ待望の社殿が……、あれ? 最古の道真伝である『菅家伝』を所蔵していた由緒ある神社でありながら、境内が意外とコンパクトなことに少なからず動揺してしまいました。
12世紀の初頭、落雷とともに雲の上に立つ束帯天神の掛軸が降下したのを祀ったのが初めとされ、後に鎌倉幕府の鬼門除けとして崇敬を受けました。絵馬の図柄はこの掛軸を元としています。
また御神体は、昔は束帯姿の座像(重要文化財)を中心に据え、天拝山祈誓を模した立像(重要文化財)と十一面観音像を左右に配置していたそうです。神仏分離令により、観音像は神武寺に移されました。
おみくじは、まず木箱を振り、指示に従って牛・天神・梅のいずれかの穴に手を入れ、引くという二段構え。一つずつ塩化ビニールの細い筒に入っているのですが、引き出しづらさはこの上なく、差し直しは不可能。社名が書いていないので、業者製かは判断に悩むところです。
境内左奥に巨大な筆が立っていますが、これが絵筆塚で、有名漫画家が描いた河童の線画がレリーフで貼られています。修学旅行生が開口一番「ドラえもんそのまんま」と発言したように、代表的なキャラクターに河童の格好をさせたものもありますので、サインが読めなくとも画風で簡単に探せます。
ところで、「関係ない」の一言で片付けてしまった護良親王ですが、必ずしもそうとは言い切れないようです。と言うのも、南北朝時代を描いた軍記物語『太平記』は、後醍醐天皇を醍醐天皇に、護良親王を道真に、足利尊氏を時平に、それぞれ重ねて描写している、という説があるからです(八木聖弥氏「天神縁起と『太平記』」『太平記的世界の研究』思文閣出版、1999年)。親王は南朝方の智将でありながら、尊氏の讒言で幽閉されるという展開がそのことを示しており、北野天神にまつわるエピソードもあるのだとか。
『太平記』は天神信仰の影響を受けているらしく、元武士・貴族・僧侶の3人が政治談義をする舞台を北野天満宮に設定したり、天神縁起や『道賢上人冥途記』を長々と紹介したりするのですが、さすがに構造の類似性までは予想外でした。さらに、南朝方の「怨霊」を祀り上げて室町幕府の守護神にしようとする発想も見られるとのことです。
(傾向)知識は妄想を生む。
(対策)テレビの見過ぎはほどほどに。
今回の鎌倉行きにあたって、ガイドブックで随分予習していて痛感したのが「鎌倉は京都よりずっとドロドロ」という歴史的事実。鎌倉時代は平安時代に比べ短いはずなのに、内部抗争がとにかく多いのです。
源頼朝・義経兄弟の確執が有名ですが、頼朝没(1199年)から承久の乱(1221年)までのわずか20年余りの間だけで、
建保6(1218)年、実朝は権大納言(1月)・内大臣(10月)・右大臣(12月)と立て続けに昇進し、明けて翌年正月27日、任右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣し、退出の途中で兄頼家の遺子
出 テイナハ主 ナキ宿ト成 ヌトモ軒端 ノ梅ヨ春ヲワスルナ(『吾妻鏡』承久元年正月廿七日条)
結果的に遺作となったこの歌、「右大臣」「自宅の梅」「1月下旬」という条件ともども「東風吹かば...」を下敷きにしていることは言うまでもないのですが、以前にも北野天満宮ゆかりの梅を御所北面に植えたことがあったそうです(志村士郎「源実朝の辞世歌とその意義について」「解釈」37巻3号、1991.3)。
そのこととは別に、天神社から近いので寄ってみました。東鳥居から八幡宮の境内に入った時点で、既に何とも言えない気分に陥っていたのですが、本宮に着いた後、石段の真ん中を降りてみようと思い立ち、実行してみたのが事の発端。途中まで降りてきて、ふと右側を眺めやり、「あの大銀杏の陰に公暁が隠れていたのか」と思った途端、想像したのが、目と鼻の先で公暁に切りつけられる実朝の姿。しかもうめき声と血しぶき付き。
「何度も造営し直している以上、この石段も当時のものでは全然ないっ!」と自分に喝を入れてはみたものの、あまり効果はなし。右に寄ってようやく正気に戻り、行く手を阻む観光客の存在に感謝したのでした。
(傾向)修学旅行の中高生がゾロゾロ。
(対策)大仏は一度で満足。
鎌倉の名所について、率直な感想を。
妄想を別にすれば、鶴岡八幡宮はお気に入りのスポットです。何しろ八幡宮ですから、ハトが群れをなして飛んでいても怖くない。フンもない。境内には緑が溢れ、石段を真横へ駆けて行ったのはリス。カメラを手に大喜びするのは観光客。その傍に「リスにえさをやらないで下さい」の木札。餌付けされて狂暴化していなければいいのですが、見ているだけで充分満足です。授与品に陶製の静御前人形があったのが印象に残っています。
駅から八幡宮までの道には若宮大路・小町通りのふたつがあります。門前正面の若宮大路には、一般道に挟まれるように土手が走っています。これが「
鎌倉駅西口から2km、江ノ島電鉄長谷駅から横浜鎌倉線を北へ行ったところにあるのが高徳院と長谷寺。高徳院と言えば鎌倉大仏。裏手に立つ与謝野晶子の歌碑に刻まれているのは、かの有名な「美男におはす」の歌です。ただ他に見るべきものもなく、写真で見た通りの大仏を確認して終わりでした。
長谷寺は建物が色々あって回るのは大変ですが、入った途端、庭園の美しさにうっとり。本尊の十一面観音像は、左手に
脇には漢字が一字だけ書かれた奇妙なカードの束が。説明を読むと、一番上のカードの字を石に書いて木箱に入れ、カードを1枚めくるようにとあります。何十人もの手でこの作業を繰り返せば、写経が完成するという仕掛けです。
隣の宝物館に入ります。銅造十一面観音像懸仏と梵鐘という重要文化財よりも関心を引いたのが、市指定文化財の観音三十三応現身立像。観世音菩薩は必要に応じ33の姿で衆生の前に現われる、という「法華経」
大黒堂には大きな木造の大黒天が飾られていますが、福々しい笑顔がとってもキュート。笑門来福を地で行く笑顔です。弁天窟は入口を封鎖しているだろうと思いきや、薄暗い洞窟内部を時折腰を折りながら一周できるようになっており、夏場の暑さしのぎに最適です。外へ出たところには弁財天の絵馬が掛けられていました。
経蔵では
さすがにくたびれたので、見晴台でひと休み。そう言えば、鎌倉で海を見たの、あちこち行っておきながら、ここが初めてでした。
ところで、鎌倉市内の観光地でよく見かけたのがソフトクリームの店。紫芋や桜、巨峰ぶどうなどの変わり種もあったのですが、どの店も使っているのはカップコーン。200円以上のアイスはワッフルコーンでサクサク食べたいなあ、と思うのでした。