山陰亭

天拝山頂の祠(4KB)
天拝山頂の祠

所在地:福岡県筑紫野ちくしの市武蔵
 交通:JR鹿児島本線・二日市駅下車

石舞台に妄想は踊る天神さまの裏道

石舞台に妄想は踊る

(傾向)紀行というより完璧に運動。
(対策)健康維持に活用しましょう。

 院政期の『江談抄ごうだんしょう』に「聖廟せいびょう(道真の尊称)の西府(大宰府)の祭文さいもん、天に上る事」と題して以下の談話が収められています(巻6:45)。新日本古典文学大系より引用。

 「聖廟、昔西府において無罪の祭文を造り、山において〈山の名尋ぬべし〉訴へしに、祭文漸々やうやくに天に飛び上がれり」と云々。

 『江談抄』は大江匡房おおえのまさふさが語った話を弟子の藤原実兼さねかねが記録したもの。これが『北野天神縁起』になると「七日七晩天道に訴えたところ、祭文は帝釈宮を過ぎ梵天に届き、道真は天満大自在天神となった」とより具体的になるのですが、面白いのは山の名前がいっこうに出てこないこと。「天神は釈迦と同様に仏の化身である」という本筋からすれば、どうでもよいことだったんでしょうね。
 滝宮天満宮でも触れましたが、道真自身、讃岐守時代に祭文を書き山で雨を乞うた経験があるとはいえ、その話がねじれて伝わったわけでもなさそうです。

天拝山(3KB)
天拝山

 さてその舞台とされるのが天拝山。標高258m。山頂付近には道真がその上で祈りを捧げたという天拝岩なる大きな石があり、脇の石碑には「霊魂尚在天拝之峰(霊魂なほ天拝の峰に在り)」と刻まれています。ここで『江談抄』よろしく、ある詩を口ずさむのも面白いのですがやめました。「これ延喜三年歳次……」と祭文を偽造するのもそれはそれで楽(怪?)しいことです。昔の人もやってました(西田長男「北野天満宮の創建」)。

天拝岩(7KB)
天拝岩

 軟禁状態の脚気持ちが登るはずないのですが、「菅原伝授手習鑑」に登場することもあり、とりあえず登ってみました。そこで発見したのが「毎日登ってたら健康になる」という事実。整備された登山道を歩き切るといい運動になります。
 犬を連れていたり、部活でランニングするほど、地元の人にとっては日常的な散歩コースらしく、健康効果てきめんの山です。山頂には展望台やベンチもありますよ。

 そこで一句。「天神は天拝山で服を脱ぎ」。ほんと汗まみれになります。

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天神さまの裏道

(傾向)細道どころかケモノ道。
(対策)歩くにしても往路が限界です。

 二日市の観光案内所でチラシを物色していて初めて知ったのですが、通常利用される九州自然歩道ルートとは別に、「天神さまのみち」なる裏ルートが存在するというので、早速登ってきました。

歌碑(4KB)
歌碑

 スタート地点は御自作天満宮の左脇。傍には「東風吹かば...」の和歌を刻んだ石碑が立っています。ここから一合ごとに同様の歌碑が全部で11個、山頂まで続くという趣向です。そのうち半数以上を占めるのが『新古今和歌集』を出典とするもの。『新古今和歌集』は、巻18の巻頭に道真作とされる連作12首が載せられており、それらを採録したのは藤原定家と後鳥羽院のどちらなのか、果たしてその意図するところは何か、など研究者の興味を引く問題を抱えているのですが、どれが道真の真作か判定するのは難しいのが実際です。観念的な見立てはもとより、対句や文字配列にも異様に凝ってみたり、詩に使わない言葉(俗語や法律用語など)を持ち込んだり、漢詩なら少なからず見受けられる癖が、和歌を相手にすると途端に見えづらくなるものですから……。
 『古今和歌集』の「秋風の...」や『後撰 ごせん和歌集』の「水ひきの...」あたりは見立てを駆使したいかにも古今調な歌ですが、そういう作り込んだ、または遊戯的な歌は好かん、という声は正岡子規ならずとも出そうですね。トホ。

 閑話休題。話が脇道にそれました。「天神さまの径」を歩いていると、最初は表街道を真下に見下ろしたりして、なかなか楽しめたのですが、次第にとんでもないルートになってゆきます。赤茶けた土が露出する地面。異様に細い道。鉄砲水で中央を深くえぐられた道ならぬ「道」。踏み台部分の土が流れ落ちて木製の柵だけになった階段。高低差が激しすぎて戻るに戻れない道のり。整備した割にはなかなかデンジャラスな裏街道で、歌碑がなければ、誰もが道に迷ったと思うでしょう。
 1時間にわたる格闘の末に、ようやく山頂の展望台の陰にたどり着いた時、胸に去来したのは達成感などではなく、安堵と疲労でした。街並を眺めつつひとしきり休息した後、「さっきの道を下るのは無謀だよね」と暗黙の内に了解し、安全で快適な表街道をそそくさと下ったのでした。
 件の道、話ついでに登るのはまだアリなんでしょうけど、上から下へたどるのは、あまりに危険すぎます。

 おまけ。この原稿を書くついでに、改めて石碑の和歌の出典をひもといた際の感想。
 「へー、頂上の『天つ星道も宿りも』って本当に『拾遺集しゅういしゅう』だったんだ」
 「3合目の『天の下乾けるほどの……』(『大鏡』時平伝)の『乾ける』、『拾遺集』では『逃るゝ』なのか……」
 道真の和歌に対していかに関心がないか露呈して唖然。
 でもね、『新古今』の連作にもなかなかいい歌があるのですよ。歌碑には採用されてませんけど。

月ごとに流ると思ひします鏡 西の海にも留まらざりけり
海ならずたたへる水の底までも 清き心は月ぞ照らさん

 2首目は『大鏡』にも引かれる歌です。照る月と不知火の海尽くしなのは単なる偶然。

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