同諸小郎、
客中九日、 客中の九日、
対菊書懐 菊に
菊為無情籬下開 菊は
人因不楽海辺来 人は楽しばざるに
諸郎莫怪今朝事 諸郎怪しむ
口未吹花涙満盃 口は花を吹かず 涙 盃に満つ
仁和2(886)年の03:197「重陽の日、府衙にて小飲す」、仁和4(888)年の04:267「九日、偶吟ず」に続き、寛平元(889)年9月9日、讃岐で迎えた4度目の重陽の日に詠んだ詩です。時に道真45歳。「今朝」と言っていますが、「朝」には「日」の意味があり、午前中に限定されませんので要注意。「後朝」が「翌日(の夜の宴)」を指すのもこれと同じ用法です。
今年は久々に部下を集めて宴席を設けましたが、憂鬱な気分になるのは相変わらずです。
酒宴を開いたり招かれたりする機会が多いにも関わらず、道真はあまり酒を好みませんでした(『菅家文草』03:196「秋」を参照)。彼にしてみれば、宴席は飲酒行為ではなく詩作を伴う場として重要だったのでしょう。そして詩を作っては賞賛されるのが誇りでした。逆に、地方で内宴や重陽宴の日を迎えると、宮中の宴席に列席しえない己が身を悲哀の対象としてとらえ、都を起点にして物事を理解することしかできなかったようです。
大勢の若者達と共に、
地方滞在中の(九月)九日、
菊を前に胸中を記す
菊は心なきがゆえ (重陽節になれば)
人は心弾まぬゆえ 海辺にやって来た
若者達よ不審がらないでくれ 今日の事を
(我が)口は(酒に浮かべた菊の)花を吹かず 涙が盃に溢れる