山陰亭

亀戸天神社(8KB)
亀戸天神社

所在地:東京都江東区亀戸かめいど
 交通:JR総武線・亀戸駅下車
    東武鉄道亀戸線・亀戸駅下車
    都バス・亀戸天神前バス停駅下車

江戸のミニ太宰府東京三天神一筆書き東京の空の下

江戸のミニ太宰府

(傾向)実際のところ、本家とは規模も雰囲気も違います。
(対策)爬虫類嫌いには鬼門?

 駅の西側を太い道が商店街を従えて南北に走っています。これが明治通り。この道を北に進み、煎り豆屋の角で左折して蔵前橋通りを西へ。すると右手に東門がありますが、境内の左隅から入ることになって風情も何もないので無視して直進します。ガードレールに立つ木鷽(鉄鷽?)を眺めながら歩道を歩き、神社の正面が見えたところで、ようやく右折して境内に入ります。
 太宰府天満宮の神官だった大鳥居信祐が16世紀後半に創建した神社で、「東都の宰府」の異名を持つだけに、境内はミニ太宰府といった感じで、心字池に太鼓橋がかかり、初夏には藤棚に紫色が揺れます。さすがに拝殿は本家ほど派手ではありません。ただ、オフシーズンに行くと、亀の大群に迎えられ、とかく圧倒されます。もともと亀が多い土地だから「亀戸」なんだとか。手水を吹くのも牛ではなく亀ですよ。

五才の菅公像(5KB)
五才の菅公像

 太鼓橋を渡って拝殿の正面へ。参拝の前に、手前左脇、梅の木に埋もれかけている銅像を探します。
 この銅像の少年、美豆良みずら頭で両手を軽く前に出しています。「阿古あこ」と幼名で呼んだ方がしっくりきますが、道真が5歳の時、「美しや紅の色なる梅の花 あこが顔にも付けたくぞある」という和歌を詠んだという伝説に基づく像です。本来なら右手に筆、左手に短冊のはずが、この銅像、短冊しか手にしていないようですね。
 現実問題としては、晴の文学である漢文に対し、の文学、男女の仲を取り持つ「花鳥の使」として一段低く見られていた和歌を、道真が幼い頃から嗜んでいたとはちょっと考えにくい面があります。数えの11歳で漢詩を詠んだのはまぎれもない史実ですが、5歳の和歌は、神童ぶりをより分かりやすく示そうとして作られたエピソードのような気がします。漢詩と違い、天神縁起にも出てこない話ですしね。

 境内の右脇にある祠が花園社。道真の嫡室島田宣来子しまだののぶきこと子息14人を祭る安産の神様です。北野天満宮のように、主祭神と合祀していることはありますが、奥方メインの社とは珍しいですね。 説明版が「宣(セン)」の字を「宜(ギ)」と書くのは御愛敬。

花園社(左)と御嶽神社(右)(10KB)
花園社(左)と御嶽神社(右)

 拝殿の右手手前にあるのは御嶽みたけ神社。祭神は法性坊ほっしょうぼう尊意そんい。柘榴天神(能楽「菅丞相」を参照)でおなじみの天台座主ざすです。明治初期に神道と仏教が分離される以前、大阪天満宮の天神祭では、尊意を玉神輿に祭り、船渡御で天神の鳳神輿と同乗させていたのですが、さすがに現在はそういうことをしないので、とても新鮮な感じがします。

 ふと社務所をのぞくと、真夏の暑い盛りにも関わらず、1月の鷽替神事に授与する木鷽の製作が始まっていました。やはり大勢の人が参加するんですね。暑い中ご苦労様です。

 神社の西にある葛餅の店はもとより、駅前の餃子屋や洋食店など、近辺には時折ガイドブックで紹介される飲食店があります。さらに、蔵前橋通りを歩いていると、「シソ入り梅ようかん」のようなそれっぽい食品が売られていますので、財布と相談の上、存分にトラップに引っ掛かってしまいましょう(笑)。

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東京三天神一筆書き

(傾向)無理のない行程だけど、意味もない、かも。
(対策)こういうことも可能だよ、ということで。

 都バスが上野公園−亀戸駅間を結んでいますので、これを活用した東京三天神(湯島・亀戸・谷保)の一筆書きルートを御紹介しておきます。
 まずは湯島天満宮へ。そこから御徒町方面へ下り、上野広小路からバスで亀戸天神前まで。参拝が済めば駅前まで戻り、総武線に乗車。列車はそのまま中央線に乗り入れます。途中、快速に乗り換えると時間短縮が可能。立川で南武線に乗り換え、谷保で下車。谷保天満宮に参拝して完了です。

 湯島と亀戸って距離としてはそう遠くないのですが、最寄り駅が地下鉄とJRなので、電車で行くにはちょっと不便なんですよね。実際、2択になってしまうことが多いです。谷保は……、遠すぎて気合で行くしかありません(笑)。

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東京の空の下

(傾向)具体的な日付知っていたら歌舞伎自体見損ねたかも。
(対策)偶然の符合を笑いましょう。

 1994年3月26日、知人に連れられ所用で上京。初日は自由行動と言われ、手持ちの青春18きっぷを有効活用しようと亀戸へ。東京の天満宮に行ったのはこれが最初だったのですが、カメラを入れたままカバンをコインロッカーに入れるという大失態をやらかしたのもこの時です。最終日の31日、また自由行動というので、「東京大学の学食はうまい」という噂を確かめに本郷へお出かけ。東大と聞いて本題は湯島と見抜いた方がいれば面白いのですが、吉川弘文館(歴史学関係の出版社)の近所で吉川弘文館の本を購入するというあまり意味のない行動を取りつつも、普通の観光もしておこうと浅草まで足を延ばしました。
 人並みに雷門に反応し、観音様に御挨拶し、夕暮れ近くに近辺を歩いていると、浅草公会堂の前を通りました。ここにはハリウッドよろしく有名人の手形のレリーフが床に敷かれているのですが、誰かの命日だったのか、そのうちの一つに白菊の花が飾られていました。近付いて木札の文字を確認することはせず、とりあえず写真撮影だけしてその場を離れました。

 4月に入り、「菅原伝授手習鑑」道明寺がNHKで放映されました。1981年の国立劇場公演と言えば13代片岡仁左衛門の菅丞相が絶品と耳にしていたので観たのですが、その放映理由を聞いて愕然。……先月末に本人が亡くなっていたのです。滞在中は新聞を買って読むことはなかったので、訃報には全く気がつきませんでした。そしてとっさに気づいたのが例の菊。もしかして松嶋屋さんの? 写真を取り出して眺めてみると、木札に「仁」や「御冥福」と書いているように読めます。
 その翌年2月、「菅原伝授手習鑑」の通し上演で片岡孝夫が菅丞相を初役で勤めるというニュースが流れました。さらに数日後、今度は仁左衛門襲名の一報が。結局いそいそと歌舞伎座に行ったのですが、後から活字をいろいろ見ているうち、千秋楽の3月26日が命日だったとようやく知りました。
 天神様の名優が亡くなった当日に天満宮に出掛けたという話でした。

 それにしても、上京前に命日を知っていたらどうなっていたことか。別の用事と抱き合せた関係で月初めに行きましたが、地下鉄サリン事件が起こったのは上演期間中のことです。

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